手をあげて走る

たまに更新される日記です

走るのと泣くのと

2020.02.11

最近は写ルンですをコートのポケットにいつも入れている。気に入ってるコート、誰にも褒められないけど気に入ってるこのごわごわのぶかぶかの真っ黒なコートに包まれて歩くと1人用のテントに入っているようで安心する。

 

今日もバイト。バスを待っていると泣きじゃくるような声がして振り返る。中学のジャージを着たおかっぱの女の子がものすごく息を荒げて駆けていった。あの子はこの坂道をずっと走ってきたからあんなに息が上がっていたのか。それとも、本当に泣いていたのか。後ろ姿しか見えなかった私には正解がわからない。わからないけど、走るときと泣くときは少し似ている気がした。止まれば楽だけど止まれないし、目的があってもなくてもその最中は苦しいのだ。走っていても、泣いていても。けれど、振り返れば、あれは、私も色々と一生懸命だったんだなあと思える。そのくらい泣くようなことがもうあまり起こらないことに最近はうんざりしているけど。

リーガル•リリーの『1997』を最近はずっと聞いている。「わたしはわたしの世界の実験台 唯一 許された人」という歌詞にハッとさせられる。私はその言葉にまだハッとできるのだ。いつだって人生は最終列車だし、手に持つのは片道切符だ。わかっている。わかっているけど、結構しんどいこともある。宇多田ヒカルがどこかで言っていた、「人生はイメージ」という言葉に頭を殴られたような衝撃を受けたときもあった。人生なんて、存在するものではなく、私たちの勝手なイメージでしかないのだ。生まれてから死ぬまでをストーリー仕立てにする必要なんてない。両極にあるようなこの2つの言葉に救われたりする。そうやって、私たちは、なにかの言葉に寄ったり離れたりして進んでいけば良いのだと思う。

 

眼帯をした女の人が、ぶつかった人に舌打ちされて謝っていた。口を大きく開けて寝るおじさんの手はジャンプを掴んだままちゃんと指でページを挟んでいた。明るく振る舞う人が、ため息をついてこめかみを何回も叩いていた。

 

月が綺麗なまま3日経つ。私なんのために休学してんのかな。バイトばっかばかみたいだな。月の上のほうが少しくぼんでいて、下にいる私を覗き込んでいるようだった。見下ろすのと覗き込むのとでは、似ているようでぜんぜん違うと思った。