手をあげて走る

たまに更新される日記です

のぼるのはやめましょうの鳥

2020.02.14

電波塔を囲む柵に掛る看板には、「のぼるのはやめましょう」という吹き出しと、両手(両翼)を挙げる鳥の絵が描いてある。その鳥が手塚治虫の画風のようで、カラスでもハトでもない全体的にくりくりとした様子が好きだ。電車に乗っていると、そうした動物や自然を表したものに心を惹かれる。東京に出てきて、四月で一年が経つ。「東京に出てきて」と打ちながら鼻と喉のちょうど中間地点が詰まる。「一年が経つ」と打ち終わって、涙が落ちないようにするのでせいいっぱいになる。バイト帰りの電車の中で日記を書こうとすると、毎回なんらかの言葉を打ちながらこうなってしまうのだ。まだ日記は片手で数える程度しか書いていないから、分母が少ないだけなのかもしれないけど。

 

東京に出てきてから、泣くことが増えた。悲しいからとか、嫌なことがあったからとか、そういう涙ではないと思う。これは。映画を観終わって外に出た時の喧騒とか、逆に、満員電車に耐えきれなくて渋谷から乗ったのに三軒茶屋で降りてしまったときとか、自分と社会との繋がりがずっと変動していることに何かがボキッと折れそうになるのだ。それでいて、誰かと同じでなければならないというような縛りがなく、一人でのびのびと息ができるから、あー私は東京に来て良かったかもなあと思ったりする。

 

この数日、日記を書く元気がなかった。一昨日はバイトが忙しくて、昨日は就活のためにインターンに行った。疲れすぎて泥のように寝た。最近胃がずっと痛む。だからか分からないけど、ファミマの飲むヨーグルトばかり飲んでいる。

インターンでは、本の企画をチームで考えるという課題に取り組んだのだが、途中から頭痛がひどくなって立っていられなくなった。私が考えたコピーをタイトルに使おうとチームの男の子が言ってくれたとき、嬉しかった。嬉しかったのに、「それはどうかな〜」なんて言ってしまった。どうにかチームの人たちに居心地良いと思ってほしいという気持ちで、空回りした笑顔を振りまいた。休憩時間にトイレに行き、鏡で自分の顔を見たら気持ち悪いほどにやけた顔をしていた。最近は自分の表情をトイレで知るということが多い。不自然ににやけた顔。いつもそうだ、空回りほどかっこ悪いことはない。

 

灰谷健次郎『太陽の子』を読んでいる。中学一年生ぶりに読むけど、当時の自分のことも少し思い出す。また読み終わったらここに記そうと思う。

 

桜が咲いている。それだけで明日も頑張れる気がする。