手をあげて走る

たまに更新される日記です

思い出すこととわらうほし

2020.03.31

 

今日で大学生活が終わる。明日からは社会人だ。

それがなんだっていうのだ。

 

2019年の11月中旬、鹿児島の知覧の海を毎日見て過ごした。祖父母の家に2週間ほど滞在させてもらっている間、毎日海に行った。

夕方の海は、夕日がぼやけているからか夢のなかのようで、そしてあっというまに暗くなった。日が落ちると、そういえばこれは現実だった、と急に少し怖くなった。2週間毎日海を見続けて気づいたのは、「どんな人でも、この海に放り投げられたら死ぬ」ということだった。真理だ。だけど当たり前のことだ。私は、そのことに気づいたとき、ああそうだ、だからもうよいではないかと思った。だんだん大人になることも、いつか老いることも、子どもでいられないことも、責任を追うことも、十字架を背負うことも、それはそれで、もうよいではないかと思った。それは「良い」ではなく、「そのままであれ」という意味だった。心が機能しなくなった私であろうが、大人になった私であろうが、老いた私であろうが、やる気に満ち溢れている私であろうが、幸せだと謳うことができるようになった私であろうが、あの海のど真ん中にぽちゃんと落とされたら、死ぬのだ。だからもうよいではないか。細かいことは。

祖父は時々、海にいる私の様子を見に来た。

「どうしても、お前は一人にさせると心配だから」

煙草を吸って堤防に寄りかかる祖父にそう言われたとき、私はなんて返したのだろう。

まだ子どもだしいいじゃん、と反発したかもしれない。

大学生は子どもじゃないよ。

人は、子どもの頃から子どもじゃないし、大人になっても子どもなんだよ。

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学生時代はいろんなことがあったけれど、まだよく思い出せない。

いつもそうだ。思い出そうとすると、靄がかかったように記憶が曖昧になってしまう。なぜ思い出せないのかを考えると苦しくなる。大学二年生くらいまでは、そのことがとても悲しかった。高校の同級生と会って「体育の教師が〇〇って言ったときにさあ、」と話が始まっても、なんのことやら全く思い出せない。高校時代、私は適当に毎日を過ごしていたのかな、と不安になった。

大学生活を終える今日になっても、大学生の自分のことをあまり思い出せない。

思い出せないが、写真のようにある瞬間が急に頭に浮かぶときがある。思い出そうとしてもうまく思い出せないのに、ふとしたときにぱっと浮かぶそれらが、とても愛おしくてたまらないときがある。思い出そうとしてもうまく思い出せないのに、ふとしたときにぱっと浮かぶそれらが、とても苦しくてたまらないときがある。

このブログを見返したときのために書き残しておきたいのは、

思い出すという行為も、思い出さないという行為も、

過去がなければできないことだから、どうか生き続けてくれということだ。過去を更新してくれ。思い出せない過去がたくさん溜まったら、「思い出せない」ということがどこかで糧になるかもしれない。

今の私が言えることは、それしかない。

だけどさあ、そう言えるようになったのは、大学生活があったからなんだと思うよ。

思い出せなくてもどかしいかもしれないけれど、思い出せないその記憶は、確かに私が辿ってきたものなんだよ。

 

明日からは社会人だ。

学生最後の日にブログを書くつもりなんてなかったのだが、部屋の本棚を整理していたら出てきた一冊の本を読んで、やっぱり書こうと思った。

荒井良二『わらうほし』という絵本だ。

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「わらうほしのわらうやまです。あさがきただけでわらうやまです。」から始まるこの絵本は、ねこがなくだけでわらうぼく、ふるだけでわらうあめなど、小さなことに微笑むことができる登場人物たちを追っていく構成になっている。

表紙を開くと、見返しの裏に「〇〇さんの(〇〇は私の名前)」という文字と、絵本のなかには出てこないわらうほしの絵が描いてある。

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休学して東京に出てきて間もない頃に初めて行った下北沢のB&Bのイベントで、荒井良二さんに描いていただいたものだ。

学生最後に手に取ったその本に描かれていたものを見て、鹿児島で海を見ていたときのように、「ああそうだ、だからもうよいではないか」と思った。ものすごく緊張していた私の顔を、じっと見た後に荒井さんが描いてくださったこのイラストでは、わたしのほしはとても嬉しそうに、少し恥ずかしそうにわらっていた。

今の私のままでいいと思った。小さなことで微笑むことができる人であろうと思った。

おじいちゃん、私は一人でも大丈夫だよ。一人でもなんとかやっていけるよ。

思い出せなくても、支えがこんなにもある。わたしのほしはわらっている。

 

明日から社会人になる。

それがなんだっていうのだ。