手をあげて走る

たまに更新される日記です

電車を乗り過ごせるままで

2020.02.10

渋谷でパソコンとにらめっこしてから新宿に寄り、高円寺をふらついて荻窪に行った。家から荻窪まで電車に5回乗った。東京は、まちがころころ表情を変えるから、めちゃくちゃボリューミーな遠足をしている気分になれるところが好きだ。大学を休学してまで地方から出てきたのに、去年はほとんどインターン先と家との往復ばかりだった。渋谷の人の多さに圧倒されてスクランブル交差点を渡れなかったあの頃の私は、東京なんてどこに行っても人で溢れかえっていて息がしにくいのだと思ってきた。

 

今日私は3回電車を乗り過ごした。1度目は渋谷に行く途中。二子玉川で乗り換えなければならなかったのに、気づいたら自由が丘を伝えるアナウンスが聞こえてきた。そのとき読んでいたのはハチミツとクローバーの8巻だ。この8巻がとんでもないほど良かった。竹本がはぐちゃんのひゃっくりをとめてあげた後の、二人の様子に胸の奥がきゅーっと縮こまる。「あげられるものなんて心くらいしかないから 君にあげようと思った」それはね、竹本くん、愛だよと思った。少女漫画だから、とか、恋愛だから、とかそういったドキドキではなく、そこにある、ああそう、きちんと人を想うことってこうだったと思わせてくれる愛があって、優しいきもちになった。そして言わずもがな山田ちゃんと野宮さんの関係に二人を抱きしめたくなったり、物陰に隠れて見ていないふりをしたくなったりする。美和子さんが山田ちゃんを健康ランドに連れていくシーン。美和子さんのような女性になって、女性の背中をさすってあげられるようになりたいと強く思う。とにかく、8巻がびっくりするほど素晴らしかった。自由が丘で慌てて降りた私は、乗り換え乗り換え、と口でつぶやきながらも心はもう全然慌てていなくて、ああ今、ここ最近で一番心が大丈夫だ、と思った。

 

渋谷について、ミヤマコーヒーでパソコンに向かっていると、2人組の外国人の女性が隣のテーブルに座った。なににする、なににすると楽しそうにメニューを見て、オーダーする。頼んだ飲み物が案外高かったらしく、伝票を持ちながら天を仰いでいた。と、30分ほどしてパタパタともう1人連れらしき女性が店内に駆け込んでくる。店員さんが気付く前に2人組の元に駆け寄るも、席がない。きょろきょろと見渡すその人に、相席で良ければ、と私の向かいの席を譲ると、恥ずかしそうに「ありがと」と言われた。めちゃくちゃ嬉しくて、いやなんでそんなに顔赤くなってるの、外国の人はもっとこういうのラフな感じにするんじゃないの、ここカフェだよ、チルだよ、と思ったけど、もじもじしてる彼女と同じくらい私ももじもじしてしまった。後からやってきた店員さんが、彼女に対して結構厳しい口調で「空いてる他の席にしてください」と言う。私に無断で彼女が相席してると思ったのだろう。いえいえ、と弁解したら、その店員さんに、え、すみません、と謝られた。なんにもすみませんじゃないのにな、と思ったが、彼女がまだもじもじしてるのが目に入ったのでまあいいかと気を取り直した。少し談笑した後、席を立った3人は、店を出る前にそれぞれが一言残していった。「すみません」「ありがとうございます」「ありがと」いや、ぜんぜんすみませんじゃないのにな、とまた思ったけど、それよりやはり彼女の「ありがと」の発音が可愛くてなんとなく笑顔になった。入れ違いで店に入ってきた若い男性がじっとこちらを見てるな、と思ったけど、お手洗いに立ったときにその理由に気づいた。鏡に映る私は、自分でも引くくらいにやにやしていた。

 

新宿で降りて、らんぶるに行こうかと思ったけどあまりの人の多さにダウンした。パソコン作業をするときは2時間以上滞在しないようにしているため、場所を変えようと思ったのだがこの人の多さでは駅を出る元気も出ない。Uターンして中央線に乗る。高円寺で降りるために席に座らずにいたのに、石田衣良さんの『1ポンドの悲しみ』を読んでいたらまた乗り過ごした。花屋での細やかな描写が好きだ。花の名前や会話を出しておけばとりあえず進んでもいいような場面を、そういったものではなく、心情や、動作、目に映るもので表現している作品が好きだ。しかし乗り過ごすのは2回目だ、さすがに気をつけなきゃと反省しつつ、指をページに差し込んだまま電車を降りてホーム反対に向かう。本を読んでいるときは、きりがいいところまでどうか待っていてと思う。電車であれば目的地が、バイトの休憩時間なら時計が、読むのをとめてくる。昔は時間なんて気にしなかったのにな。

 

高円寺をふらついた後、また中央線に乗って、荻窪の本屋さんに向かう。本はお金がかさむから、普段は家の近くの区営図書館で借りているのだが、たまにこうして少し遠出して本を買いにいくとその後の数日が楽しくなる。本を買いに行く道中に見た景色、犬がいたこと、夕暮れだったこと、コーヒーが飲みたくなったこと、そして素敵な本をいくつか購入したこと、帰り道、手提げ袋が子猫1匹分ほど重くなったこと、そういう記憶が支えになるのだ。本はいつだって、私の思い出と記憶の両方になってくれた。今日は、津村記久子さんの『これからお祈りにいきます』と滝口悠生さんの『死んでいないもの』を買った。明日もバイトだけど怖くない。行き帰りがこれで楽しくなる。

 

変えるために荻窪から新宿に向かい、新宿から渋谷まで山手線に乗った。新宿も渋谷もすごい人だ。いつもより皆穏やかな顔をしている気がした。たぶん、私が穏やかなきもちだったからだと思う。周りなんて、案外そんなものなのだ。あくまで周りは、自分から見た外の世界以外のなにものでもないから。

家近くの駅で降りるまで、渋谷から時間がかかるため、ハチクロをまたとりだす。そしてそう、今日3回目の乗り過ごし。どうにでもなれと思った。電車は必ず乗せてくれるのだ。ここが日本で良かった。電車を乗り過ごすことを、許せるままで生きたいと思った。