ボタン外れてますよ
2020.04.06
お会計を済ませてお釣りを渡すと、お客さんが「ボタン外れてますよ」と呟いて去っていった。その人の連れであろう隣の女の人が鳴らすヒールの音が耳障りで、だんだん遠ざかっていくのにだんだん近づいてくるように耳に残った。優しさで言ってくれたようではなかった。くすくすと笑うような、もしくは見下しのような、奇妙な言い方だった。とても悲しくなったことだけは確かだった。
分からないけど泣けてくるときというのは本当に厄介だ。マスクをしていて良かった。人にバレないように笑うときと泣くときは、マスクに感謝する。そういうときはマスクだって役立つのだ。
バイト先で泣けてくることは今までも度々あったけど、顔を見るだけで安心する方が一人いてくれたから深呼吸をすることができていた。今となってはもうその方はいなくて、私はぐっと堪えて、気持ち悪く湿ったマスクが乾くのを待つ。
本音を伝えようとするときや、誰かから自分に向けた負の感情が伝わってきたとき、不甲斐なさを感じたとき、変に泣いてしまう大人は、どれほどいるのだろうか。もしくはこんなこと尋ねたら、何甘えたこと言ってんだ馬鹿野郎と怒られるのだろうか。
明日、緊急事態宣言が出されるらしい。日本中がフルボッコで政治を批判してるから、だからこそせめてその宣言に沿って行動しようね、と思う。
「家に篭ってもすることないから困る」とアルバイト先の人が言っていて、「そうですよね」と返しながら、やりたいことを頭の中でリスト化していた。ずっと観たかった海外ドラマ『クリミナルマインド』を観たい、『メイドインアビス』は一から観直したい、西加奈子の『さくら』が映画化するらしいから原作をもう一度読んで心をあたためたいし、ギターの練習もしたい、すぎるの『チューリップ』もまだ実は観ていなかったからようやく観れる、そして書きかけの小説を完成させたい、全て違う著者名で書いた小説集をかたちにしたい。
家に篭ってやりたいことは底を尽きない。何もできないとき、人間は自分の中で最もベースなところに帰るということが、なんだか不思議だと思った。
本を二冊買った。偶然どちらも夜にまつわる題名で、家に籠る=ずっと夜 だと思っているのかもしれない。やりたいことは尽きないけど、やっぱり太陽の元で散歩をしたいのだ。棚に置かれたフィルムカメラがこっちを向いている。
世の中が落ち着いたら、外に連れて行ってあげるからね。
ボタンが外れていたら、とめればいいのだ。私には文化がある。芸術がある。くそくらえ、と思った。