手をあげて走る

たまに更新される日記です

またすぐ来てくださいね

2020.11.19~11.25

 

「またすぐ来てくださいね」

 

という言葉が、嘘じゃなかった。

 

それが、ものすごく久しぶりなことだと気付いた。

ふと、去年の冬、鹿児島の祖父母の家から帰るときのことを思い出した。私は心が折れて鹿児島に行ったから、帰ったらまた元気にやれるかどうか自信がなかった。そのときのことが急によみがえった。空港で私が泣くのを、祖母が何度も「泣かないの」となだめてくれたときのこと。

 

休学しても卒論から逃げることはできず、復学してから卒論卒論と卒論ばかりに追われていた。学ぶことや卒論を書くことを、適当にしないゼミであることをは分かっていたし、先生のそういうところが好きでこのゼミを選んだ、選んだのは自分だ。

木曜日の朝から今日(水曜)までの約一週間、地方にある自分の大学まで戻り、ホテル暮らしをしながら卒論と向き合っていた。

 私がここに書き残しておきたいのは、その卒論のことではなく、卒論に追われるこの一週間のことについてである。

 

 何があったのか先に書いておきたい。後輩と湖に行って流れ星をみた、魚が何度も跳ねた、明るい後輩が「思うこと」についてぽつりぽつりと話してくれた、夜の湖はすごく寒かった、話しているうちに雲の位置が大きく変わっていた、帰り道の車の中がとてもあたたかかった、場が明るくなるような存在になろうとしなくていいやと思えた、「思うこと」について、話してもらえる人であろうと思った、ゼミの子たちが、「私、実は…」といろんなことを話してくれた、なんてかわいいんだと思った、東京に戻る日、後輩たちが「お見送りに行きたいです」と言ってくれた、一人、ホテルでちょっと泣いた、一人なのにビールがおいしかった、お見送りしてくれた嬉しさでぼんやりしていたら、コインロッカーに置いていた荷物を取り忘れていて、慌てて電車から降りた、コインロッカーのカギがなくて泣きそうになりながらキオスクに行くと、「落とし物で届いてたカギがそれかもしれない」と優しく教えてくれた。その店員さんが持ってきてくれたカギが、本当にそのロッカーのものだった、カチャっとはまったのを見たとき、慌ててばかりなのも終わりにしようと思った、すみません、と言うと、「いえいえ、そういうことってありますから、どうぞ」とロッカーを開けてくれた、そういうことってありますから、そういうことってあるんだと思った。

 

 休学していたため、久しぶりの大学に行っても同級生はほとんどいない。同級生は皆働いている。図書室と格安ホテルを行き来する一週間が始まった。本当は日曜日に文学フリマもあったのに、行きたかったのに、会いたい人だっていたのに。けれど調べても調べても進まない卒論をないがしろにしたら本当に困ったことになりかねないと、涙を拭いて大学に来たのだ。覚悟はしていたから毎日全然大変ではなかった。朝の9時から閉館まで図書室にこもったが、それでも終わらない、きわめつけに内定先のアルバイトで頼まれていた仕事もやらなければならなかった。コピーライターになると言っても簡単になれるもんじゃないんだって、こんなときに気づかなくてもいいじゃないかと思った。ホテルの一階がカフェスペースになっていて、ソフトドリンクやコーヒー、アルコール類まで常備されていたのが救いだった。23時まではウイスキーを飲みながら頑張った。なんだかあの時間が忘れられない。オレンジのライト、誰もいないだだっ広い空間、いくつものテーブルと机。と、ウイスキーのロックグラス。へんなの、私まだ自分のこと子どもだと思っているんだ、だから変に感じるんだ、へんなの、と思った。

 日中卒論と向き合い、金曜と土曜の夜に後輩たちに会った。集まるも、コロナでいつも通りのことはできないし、土曜は日付を超えてから車を飛ばして湖に行くことにした。途中のコンビニでホットココアを買い、着いた湖は静かで、暗くて、寒かった。夜の海と全然違うのだ。夜なら湖の方が好きかも、と思った。大き過ぎない水面。蓄えた水がゆらっと向きを変えるとき、少しだけ光る。海は向こうが水平線だが、湖は向こう側にあるものが見える。私たちが行った湖は、向こうに街があった。街の明かりを映した水面は、映した明かりをろうそくのように長く長くのばしていた。

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 オリオン座の中にある無数の小さな星を見て、嬉しくなった。六等星ぐらいの小さな小さな星も、ちゃんと光っているのが見える。こんな星空はいつ以来だろう。「流星群が来ていたら、流れ星が見えたかもしれないですね」と言われて悔しがっていたら、大きな流れ星がすうーっと尾をひいて空を横切った。みんなで見た。みんなで見て、みんなで「あ」と言った。みんなでやるって、どうしたって楽しいのだ。コロナで失ったもの…とか、コロナだからこそ…とか関係なく、みんなでやるっていつだって楽しいし嬉しいのだ。

 

 卒論は結局、決めていたところまで終わらせることができたし、致命的な失敗も起こさずに済んだ。いつもは何かしらしでかすのに、よく持ったと思う。焦ってばかりだ。焦って、血眼になってなんとかこなして、安心して汗を拭う。

 

 なんだかなあ、と思っていたら、星を見にいった後輩から連絡があり、「東京に帰る先輩を見送りに行きたいです」とのことだった。ビジネスホテルのシャワーを浴びながら一人で少し泣いた。嬉しいのと、こんなに優しくされていいのだろうかという気持ちだった。

 ゼミを終えて大学を出ると、星を見に行ったメンバーがみんな揃って待っていてくれた。駅まで向かう道中、帰りたくないなあと思って、悲しくならないように、べらべらとまた何でもないことを一人で話してしまった。

 駅に着くと、「私たちからです」と包装された箱を渡された。中には万年筆が入っていた。あーと思った。泣くもんかと思っていたのに泣いてしまった。おじいちゃんのことを思い出したのだ。万年筆ばかり持っていたおじいちゃんは、「万年筆を買ってあげようか」とよく私に言ってくれた。どうして?と聞くと、「万年筆は人からもらうのがいいから」と言った。そうだった、人からもらうものだと教えてもらったなあと思ったら、涙が出てきてしまった。「またすぐ来てくださいね」に、後ろめたい気持ちなしでうん、と言えた。

 

 星を見に行く途中の車内で、後輩が教えてくれた曲をずっと聞いている。キンモクセイの『二人のアカボシ』という曲だ。

 

「夜明けの街 今はこんなに静かなのにまたこれから始まるんだね 眠る埋立地(うみべ)と化学工場の煙突に星が一つ二つ吸い込まれ 沢山並んだ 街の蛍達も 始まる今日に負けて見えなくなってゆく 君とも離れることになる」

 

それでもいいのだ。それでこそいいのだと思った。ともに過ごした夜に、悲しみや寂しさをやり過ごさせてもらった気がする。高揚感だけが幸せではない。焦らずに、夜を忘れずに、辛い現実も緩く過ごしていきたい。