手をあげて走る

たまに更新される日記です

泥棒

しばらく前に空き巣に入られた。深夜だった。久しぶりに遅くまで飲み、タクシーで帰ってきたところで玄関横のすりガラスに奇妙な穴を見つけてゾッとした。ゾッなんてもんじゃなくゾゥワ・・・・・・ッという感じだった。腹から上に向かって一気に肌が粟立ち頭がかゆくなった。気のせいかもしれないからとにかく室内を確認しなくてはとドアノブに手をかざしたところで鍵が開いていると分かった。まだ手は触れていなかったが、分かった。110番に電話をかけた。電話の相手は、すぐに警官を向かわせますね、と言ったがパトカーが到着するまでの時間は途方もなく長かった。外にいるのが怖かったので最寄りのコンビニに避難した。コンビニは深夜であろうと泣きっ面であろうと無条件で招き入れてくれる。ありがとうと思った。本当にありがとう。やっと到着したパトカーたちは道路脇に縦列駐車した。パトカーからぞろぞろと降りてきた警官たちに会釈をされたが誰に会釈を返せば良いかわからなかった。一番左にいた人が、自分がこの現場の責任を務めます、と言った。責任を務める警官を先頭に、警官たちはぞろぞろと家に入っていった。やっぱり鍵は開いていた。我々が来る前に中に入りましたか、と訊かれた。否定すると、犯人が先ほどまでいた可能性もあると言われて眩暈がした。家の中は大変なことになっていた。あるはずの場所にあるものはなく、ないはずの場所にものがあった。一階も二階もぐちゃぐちゃだった。下着が散乱していて、その一つひとつについて確認を取られる時間が最も苦痛だった。責任を務める警官は、相当やられましたね、と言った。結果として大きな被害はなかった。通帳も現金も印鑑もPCも下着も盗られなかった。よかった。"大きな"被害はなかった。でも、被害はあった。アクセサリーたちが盗まれた。どれも大切なものばかりだった。目玉が飛び出るような高価なブランドものではないが、替えの効かないもの、つまり、もう二度と手に入らないもので、社会人一年目の頃に背伸びして買ったピアスとか、上京する直前に友人からもらったピアスとか、旅行先で友人とお揃いで買ったブレスレットとか、人から譲り受けた腕時計とか、思い入れのあるものがごそっと盗まれた。お守りにしていた指輪も当然のように盗まれた。責任を務める警官に、大体いくらぐらいか分かりますか、と訊かれた。もらったものはいくらぐらいか分からなかった。調べれば分かっただろうが分からないと言った。その一件の後にすぐ引っ越した。思い出さないようにして日々を過ごした。最近ピアス付けなくなったよねと人に言われたら笑って誤魔化した。一昨日から九州の祖父母の家に来ている。家から持っていく荷物を詰めようとクローゼットから引っ張り出したリュックの中から当時責任を務めてくれた警官の名刺が出てきて、表や裏を眺めているうちに盗まれたものたちに関する記憶がぱらぱらと思い出された。一つ思い出す毎に祖父がかわいがっている猫の鳴き声が耳に入った。ニャアでもナアでもなくヤアと聞こえた。この猫を誰かに盗られたりでもしたら祖父はどうなるのだろうか。別離にはいくつもの種類があるが、泥棒にその関係を別たれた場合は現実を受け止めるまでにどのようなプロセスを踏めばいいのだろうか。泥棒は何という名前だったのだろうか。泥棒を泥棒と呼んでも具体的な泥棒のかたちを成さず、親しみのない記号として足元でうごめくだけで、怒りや憎しみを向ける対象として引き上がってこない。久しぶりに思い出したせいか頭が重く、祖父母の家からすぐの浜辺ではなく県道を少し下ったところにある岬まで行き、磯をうろうろした。赤いヤドカリが小さな潮溜まりから大きな潮溜まりに移動する様子を見守ったりカニが岩をほじくる様子を観察したりした。日陰で休みたくて近くの林道に入ると宿泊者向けのツリーハウスが並ぶ場所に出た。誰もいなかった。扉に立ち入り禁止のプラカードが貼ってあったのでその前の階段に腰を下ろした。怒られたら移動すれば良いと思った。カラスノアゲハが蜘蛛の巣を上手に避けて飛んでいた。木漏れ日の向こうに海が見えた。風が吹くと葉が同じ向きに回った。2時間ほどそうしていると人の声が聞こえた。会話の内容は聞き取れなかった。足音が近づいてくる。隠れようかと思ったが壁はなく、そのままじっとしているほうが得策かと階段に同化した。呼吸を浅くしてバレないようにした。足音はさらに近づいてくる。私がドアノブに手をかけたとき、泥棒もこんな気持ちだったのだろうかとふと思った。足音が大きくなり、止まった。バレたかと思い、足音のほうを見ると大きな木が二本生えているところに人の後ろ姿が見えた。一人だけのようだった。バレてはいないようで胸を撫で下ろした。早くいなくなってくれと念じながら階段の木目をなぞった。しばらくしても足音は再開しなかった。とっくに去ったのかともう一度その人のいたほうを見ると大きな木の根本近くに半ケツが見えた。信じられないが、本当にお尻が見えた。緑や茶で構成されたこの世界では場違いの色をしていた。名前も知らない人のお尻を見るなんて思いもしなかった。この周辺にお手洗いはない。ここで用を足そうと考えたのだろう。林道からかなり外れた場所だし、誰もいないと思うのも分かる。でもタイミングが噛み合わなかった。こんなところでぼうっとしていないでさっさと立ち去るべきだったと後悔した。くしゃみが出そうになり全力で我慢した。手首に蚊が止まっていたが払わずに耐えた。誰かいると気づいたら今お尻を出しているその人は青ざめてしまうかもしれない。もう二度と林で用を足せなくなるかもしれない。絶対にバレてはいけなかった。さらに呼吸を浅くした。見てはいけないと思いながらも再度目をやると半ケツはまだそこにあった。頭は木陰の中にあるのだろうが、お尻は日に照らされていた。それを見ていたら、愉快に思えて笑いそうになり、それでなんだか、どういうわけか、このお尻の延長直線上に、ずっとずっと辿った先に、私の大事なものを奪った泥棒がいればいいのにと思った。怒りや憎しみを向けるより、そうやってお尻を見せて笑ってやろうと思った。東京に戻ったら今の自分に似合うピアスを買おうと決めた。用を足した後どうやって拭くのかと心配したが、ポケットティッシュなのかウエットティッシュなのか紙を何枚か抜き取る音が聞こえて安心した。用意周到だと思った。

 

 

4,000km

2026.03.11~2026.04.07

 

もういらないの、いらないね、あらまだいるのそうなの、とブツブツ言いながら白い欠片を川に投げるおばあさんの手元には耳だけ残った食パンがあり、2羽のカルガモは投げ込まれた食パンのやわこいところをヒュンヒュン吸い込んでいく。掃除機みたい、と思う。カルガモの形をした掃除機があるなら絶対に買う。掃除機よりハンディクリーナーのほうがいいか、風切羽を押したら嘴が虹色に光る仕様にしたい。おばあさんはこちらに気づいてか、もういらないと思ったのに〜、もう、なに、いるの? なあに、いるの〜、と仕方なさそうに食パンを投げる。やりたくてやってるんじゃあないですよ、というアピール。そうですよね、カモが食パンを欲しがるから仕方ないですよね、という気持ちを込めて頷いてみる。あらこんにちは、と二人目のおばあさんが登場。パンを投げていたおばあさんは、今日も忙しくて、と食パンの耳を高々と掲げる。二人目のおばあさんは、いろんな花が咲いているね、と土手を見渡し、あたしが子どもの頃は花なんて二種類しかなかったもの、と続ける。二種類はさすがに言い過ぎではないか。

おばあさんたちの背後を抜け、川沿いをいく。水量の豊富な多摩川から江戸に上水を運ぶために開削された玉川上水旧水路はその大半が暗渠化されており、うねる緑道には雪柳や木瓜、おもちゃのような遊具やチョコレート色のベンチが続いている。その緑道の脇から漂ってくる甘くスパイシーな匂い、沈香のような匂いを辿れば沈丁花が恥ずかしそうに咲いていて、もっと堂々としていいんだよと思いながら歩く。

隅に設置された雲梯にぶら下がった子どもが、無理だあ、と手を離すと、その後ろにいたお母さんは黙ったまま雲梯のバーを掴み、つっとつっとつっと、と慣れたように移動した。2本飛ばしだ! 身体の反動を活かしてあっという間に渡りきる。かっこいい。お母さんかっこいいよ。子どもはぼうっとした顔でお母さんの後ろ姿を見ている。きみのお母さんかっこいいよ。よく見ておきな、と思う。ごはんをつくったり、洗濯をしたり、きみを自転車の後ろに乗せて立ち漕ぎしたり、お化粧をして仕事に行ったり、たまにお酒を飲んだり、それだけがきみのお母さんではないんだよ。

親子を追い越すと、幹にプラカードを下げたソメイヨシノが目に入った。

法面保護工事のためこちらの樹木を伐採し新たに若い桜の木を植える予定です(伐採時期 令和8年5月以降)


あなたは今年、最期の桜を咲かせるんだね。そのことを知らせるプラカードを首から下げさせられているなんて、状況だけ切り取ればちょっと残酷すぎやしないか(これが桜ではなく人であれば大問題である)。かといって予告も無しに切り倒せば非難が寄せられるかもしれない。毎年開花を楽しみにしていた人もいるだろうし、その非難は真っ当なものである。プラカードを設置した人にも非はない。誰が悪いとかではない。それとこれとは抜きにして、死の宣告を受けてもなお堂々としている桜を見ているとその健気さに胸が痛む。とはいえ桜はプラカードに何が書かれているのか知っているのかもしれない、知った上で道化を演じているのかもしれない、とも思う。だとしたらとんでもないエンターテイナーだ。『ライフ・イズ・ビューティフル』のあのシーンをふと思い出す。

 

遊歩道を降りて住宅街を進むと、小さな公園に突き当たる。ムツゴロウという名前のスプリング遊具を正面から見たらめちゃくちゃ怖かったので側面の写真を撮った。寄った黒目と大きく開いた口の組み合わせのせいか、ひゅっと吸い込まれそうだ。子どもが子どもなら泣くぞ。そのシリアスさを中和する前頭部の茶色いでっぱり、江戸時代の吹前髪にも見えるそれがなければ私でも悲鳴を上げて逃げ出していた、というのはさすがに言い過ぎか。花なんて二種類しかなかった、と同じぐらい言い過ぎだ。

写真を撮ってから振り返ると、公園の隅に這いつくばる子どもの足の動きに合わせて、お父さんがあら、あら、あら、と音頭を取っていた。むくりと顔を上げた子どもと目が合い気まずかった。

 

 

ここから700km移動することになる。

 

腰がバキバキになる。腰のバキバキは、1週間経てど2週間経てど治らなかった。むしろ悪化した。その後も新幹線や電車を乗り継ぎ移動しつづける日々が待っていたからだ。

 

水島臨海鉄道に乗る。倉敷市駅の外壁には「水島臨海鉄道のりば」と書かれており、「水島臨海鉄道」は淡い水色で、「のりば」は赤色で塗られている。水島臨海鉄道は水色として記憶される。こうして文章にしている今も「水島臨海鉄道」は水色に見える。正しくは黒く表示された文字を水色として受け止める、受け止めにいく。

電車はワンマン。ボックス席とロングシートが千鳥形に配置されている。一番奥まで進み、ロングシートに座る。電車が動き出す。

一軒だけ明かりの灯った住宅がある。そこに人がいる、生活がある。夕飯作るの面倒だなとか、先月の電気代高くついたから我慢できる日は暖房切ろうかなとか、子どもの部活動の送迎当番いつだっけとか、本当にそんなことを考えているかは知り得ないけれど、そう考えている人がいるのかもしれないと想像できる。生活があるとわかると、そこに心もあるのだと思える。部屋を灯すための明かりが、部屋の外を通る者の心を灯すこともあるのだ。たとえ電車で通り過ぎるだけだったとしても。

 

 

水島駅から200メートルほど北上すると県道を跨がる歩道橋があり、その柵は腰上に届かないほど低かった。大人なら簡単に乗り越えられてしまうほど低かったように思うが、そんなに低くなかった気もする。歩道橋を一緒に渡った人は、こわいこわいと背中を縮こませていた。橋梁の下をビュンビュン通過する自動車たちに手を振った。ダンプカーがバオーと言っていた。

 

700km戻り、枯れかけのフリージアを花瓶から出して捨てる。花を捨てるときの罪悪感に名前があるのだろうかと調べると「罪悪感は必要ありません。花はあなたに楽しんでもらうために咲いています」といった内容の投稿を見つけた。より罪悪感が増した。chatGPTに相談すると「花棄罪」「花別罪」など煽る名ばかり提案された。プロンプトがよくなかったか。何度訊き直しても似たようなことばかり返すので、喧嘩を売っているのかと訊くと、冗談です、と返ってきた。

 

その数日後にまた550km移動する。

新幹線は時間だ。時間すぎる。今が瞬間の連続であることを目に見えるかたちで差し出してくるから焦る。その速さに身を任せれば死がこんなにも近くに迫ってきて、これってプレミアムジェットコースターじゃん、と思う。風も当たらず、がくんがくんと振り回されることもない快適なジェットコースター。ジェットコースターの何倍もの速さで進むジェットコースター。ジェットコースターがなければ新幹線に乗ればいいじゃない。後日、iPhoneのメモに打ち込まれた「新幹線はプレミアムジェットコースター」という文字列を見て一人笑った。

 

音楽を聴きながら窓の外を見る。車窓が向かいの建物に反射していて、もう一人の自分を乗せた新幹線が街中を走っているようだった。透明な電車に乗ってぬらりくらりと泳いでいきたい。

新大阪でねぎ焼きの店に入ったが、急いで食べたせいで味がぜんぜんわからなかった。急かされているわけでもないのに息をつく間もなく食べ切った。一人で食事をすると、はやく!はやく!と耳元で叫ばれているような気分になるときがある。

向かいの卓のおじさんがおこたこ、おこたこ、と言っていて気になったのでおこたこが到着するまで水を飲みながら待つ。急いで食べたせいで胃が苦しかった。届いたのはお好み焼きとたこ焼きの相乗せプレート。おこのみやき&たこやきね。響きのかわいさにかまけていた、と反省。なんの捻りもないどストレートな名前だ。冷静に考えればすぐにわかったはずなのに。おこたこがかわいいのが悪い。

大阪で一泊する。朝起きて身支度をしながらスマホを開くと、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』から引用した一文がLINEで送られてきていた。その一文を絶対に忘れることがないよう、何度も口に出しながらシャワーを浴びた。絶対に忘れたくない。受け取った瞬間から過去に流れていく言葉や光景を、それこそ新幹線の車窓から見えた景色のように流れていってしまうものを、じたばたもがいて繋ぎ止めようとする、そういう足掻きを死ぬまで続けたいと思った。死ぬまで忘れない。あなたが忘れても忘れない。

特急くろしおで和歌山駅に向かい、JR和歌山線に乗り換える。電車に乗っている間にどんどん日が落ちていく。宿の最寄駅で降りた後、やけに広い薬局で迷子になりかけた。畦道で踊った。愉快愉快、と言われ上機嫌になった。

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仕事を終えて和歌山駅でくろしおを待つ間、売店でごまどうふと『かげろう』という紀州銘菓を買った。『かげろう』の名前の由来は「浜辺に漂う陽炎(かげろう)の様に儚いというイメージからこの名前がつきました」ということ。浜辺に漂う陽炎……あれ、蜃気楼と陽炎って何が違うのだっけ、と調べてみれば、密度の違う空気がかき混ぜられて光があっちこっちに屈折することでその向こうの景色が歪んだり揺れたりして見えるのが陽炎で、密度の違う空気の層によって物が浮いたり反転したりして見えるのが蜃気楼で、過去に書いた文章で誤用していたことに今更気付いた。わかったふりをしてはならない。わかったふりは表現を後退させる。停滞ではなく後退させる。

帰りの新幹線で、西に向かう新幹線とすれ違った際にカメラを構えた。こちらと同じ構造の車内が見えた。向こうにも車内がある、ということが奇妙に思えた。向こうにも現実が、身体があるのだ。

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東京の自宅に戻り、次の日は松本に向かった。出張続きの日々から一旦抜け出す。特急あずさは速さがダイレクトに身体に伝わってきて少し酔ってしまったが、ほぼプレステⅤの見た目はかっこよかった。プレステⅤに似すぎではないかと調べたら、同じことを思った人が何人もいるようだった。

松本にはあっという間に着いた。こんなに速く着くならもっと前から訪れればよかった。改札の外で待っていた友達は、私の髪を見て、青い、と言った。似合ってるとか奇抜だとかではなく、事実を事実のまま伝えてくれることに安心する。ごった返す駅の中でぶつかった人に舌打ちをされたが、帳尻が取れた、と思った。これでもう楽しいことしか起きないと確信した。そしてそれは事実となった。

駅の外に出てすぐ、まずは深呼吸した。空気がおいしいと思った。地元にいた頃は空気がおいしいという表現を胡散臭く思っていたが、上京してからその意が身にしみるようになってしまった。空気そのものおいしさというより、深呼吸し切れるかどうかでおいしさを定義しているのだ。

まずはやや遅めのお昼ごはんを、ということで、おすすめのお店に向かう。途中、PARCOの残骸の横を通った際に、建て替えた後はドンキが入るのだと教えてもらった。PARCOからドンキは、色々含ませすぎている。詳細を説明されずとも事情がわかってしまう。女鳥羽川沿いを歩き、おすすめのお店こと三代食堂でとり天盛りを頼む。先日、いつも通っている美容院のアシスタントさんがおすすめしてくれたお店だということに店に到着してから気づいた。とり天盛りはびっくりするほどおいしかった。特に舞茸の天ぷらが気に入った。奥の座席には石油ストーブが置かれていて、重力のある空気に肩を揉まれているような気分になった。幸先が良すぎる。

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お腹を満たした後は松本市美術館に向かい、草間彌生の常設展と企画展「民藝誕生と松本」を見た。美術館の受付はかなり混み合っていたが、友達は「みんなサンリオ展(特別展)目当てですよ、大丈夫です」と言っていて頼もしかった。実際、企画展はほぼ貸切状態だった。幸先の先も良すぎる。松本の民藝運動をごりごり進めた作家たちのことを思う。東京から離れたこの松本の地にこだわったその作家たちがいなければ、今ここに展示されているものの多くは生まれなかったのかもしれないと思うと、松本への愛着が顔を出す。幼い頃、よく家族で訪れていた地域だったことをこの時思い出したが、友達には言わなかった。

美術館を出た後は街中をぶらぶら歩いた。松本はなんて散歩に向いている地域なのだろうか、道中には興味をそそる店や建物が順々に立ち現れ、少し疲れたなというタイミングで、待ってましたと言わんばかりに川が鳥の鳴き声や花々で癒してくれる。

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休憩がてら入った喫茶店の、部屋の隅に置かれた本棚のラインナップが思い入れのあるものばかりで驚いた。珈琲も紅茶も信じられないほど薄かった。

その後、待望の本・中川に行く。話には聞いていたが、想像以上に素敵な書店だった。友達が店主さんと話している最中、カウンターの奥から顔を出した猫ちゃんがナアナア喋っていて、それに対して大人たちがどうしたの〜なあに〜と返していてなんだかもうその場で丸くなって寝たくなった。居心地が良すぎた。好きな本の隣に好きな本が、そのまた二つ隣に好きな本が……と初めて来た本屋とは思えない親しみを感じる品揃えで、けれど民俗学や社会学、自然科学、エッセイの棚は初見の本が多く、そのあたりから2冊選び、購入した。購入した本を受け取るときの、手から手へと渡されるその行為が嬉しくて、だから行ったことのない本屋を訪れたくなるのだと思った。こんなのほぼ握手じゃないか。靴を脱いで上がる本屋が持つ、本棚に満ちた空間としての佇まいに拍手を送りたくなった。松本での思い出はたくさんできたが、本・中川での時間は特に印象に残った。

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次の日は山山食堂で朝食を食べた。席が空くまでの間、2階の展示を見ていると、ペーパーウェイトやブックエンドに使われている石をはじめ、そこかしこに置かれた石がどれもかっこいいことに気づいた。展示をしていた方の一人に、これはどこの石なんですかと訊くと、その人は自分は石の写真を撮っているのだと壁に貼られた大きな石の写真を指差した。ああ、だからかと合点がいった。下に降りてバタートーストと自家製ハムエッグを頼む。なんていい朝だ。

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友達の運転する車で大町山岳博物館附属園に行く。街を囲む山々がどんどん高くなっていく。あまりに美しすぎてハリボテにも見えるその山は近づくと凹凸や色彩がはっきりしてきて、ハリボテではなく本当にそこにあるのだと実感できた。あまりに綺麗で何枚も写真を撮った。

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博物館附属園に到着し、入り口を入ってすぐの舎をうろつく白い生き物を見た。ライチョウだ。うええわわわと変な声が出た。うええわわわと言わざるを得ない、もこもこの足でずんずん歩く様はもう目を瞑りたくなるくらいかわいかった。


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首を傾げたときの左脚がかわいすぎた

本・中川に行ったときといい、どうやら自分は胸いっぱいになると目を瞑りたくなるらしいとこの時思った。園を出ると、車窓から見ていた山がどーんと広がっていてしばらく眺めた。

ライチョウに後ろ髪を引かれながら、信濃本町の俵屋飯店で昼食を食べる。餃子は皮がはち切れそうなほど身が詰まっていた。お腹いっぱいになったはずだが、松本に戻る途中のサービスエリアにおすすめのシュークリームがあるとのことで買いにいく。生地はザクザクでこれでもかとクリームが詰まっていて確かに絶品だった。

松本に着いた後は駅一階のお土産売り場でいくつかご当地ものを買い、信濃毎日新聞の松本本社が入っている「信濃メディアガーデン」ではりんごジュースを買った。瓶に入った500mlのりんごジュースは重かったが、きっとおいしいだろうと思うと身体は軽くなった。夕飯にBABAじぃでビリヤニを食べてから再度駅へ。このビリヤニはこれまで食べたビリヤニの中で圧倒的No.1だった。1ヶ月に一度こんなおいしいものを食べられたらいいね、というものを2日間でいくつも食べてしまい、単純計算では6ヶ月分に相当する、という話をして笑った。そんな最中に暗い気持ちになる連絡があり旅の終わりにこれはないだろうと思ったが話したら気が楽になった。電車に乗る前に、友達が開運堂の『白鳥の湖』というお菓子をくれた(帰宅してから食べたが、落雁に似たほろほろしたクッキーかつシナモン風味でとてもおいしかった。

次の日からもまた移動ばかりのバタバタした日々が続いたが、移動に身体が慣れてきたのか不思議と疲労感はなかった。

少し落ち着いたタイミングで目黒区美術館にも行けた。目黒区美術館に行くのは実は初めてで、道中の桜を見たり入り口前の敷子ども用プールのオブジェ、あれはクジラだカメだと話したりするうちに、館内に入る前からこれはいい美術館だと思えた。人と美術館を回る際に、それぞれの見るペースがズレていくことに心地よさを感じる。たまに合流したりすれ違ったり、この作品が気に入ったと報告したり、そうやって、同じ空間にいながらもたった今遠くからやってきたかのように報告し合うあの時間が好きだと思った。最初から最後まで同じペースで回ろうとする人もいるが、まあそれはそれで別の楽しみがあるわけでどちらがよいとかではなく、だから人と美術館に行ければそれでいい。

美術館を出た後、通りの向こうに見えるクリーム色の横長の建物と手前にぽつぽつと並ぶ木々、奥の赤い電波塔を見てさっき見た絵と似てると写真を撮っている横で、いい展示だったなあとしみじみと思った。

休憩がてら喫茶店でコーヒーを飲んだ。予定していた東京都写真美術館には行かなかった。熱海に行った。何百kmも移動していたせいか、熱海なんてちょちょいのちょいだとすぐに腹を決めた。けれど喫茶店を出る前にお手洗いに入って鍵を閉めた際に、松本からの帰りの電車内で読んだ記事を思い出し、国で、世界で起きていることと個人的な日々のあれこれに対する意識の持ちようのバランスを取ることの難しさを思った。それは考えつづけたり意見を持ったりすること以前にある、情報の受け止め方、構え方の問題で、でもどうしたいかは過去の自分が整理してくれていたので入念に手を洗って外に出た。

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熱海は雨が降っていた。東京でも降っていたが、熱海も雨だな、とは思わず、熱海は雨なんだな、と思った。テレビをつけたらETV特集で写真家の齋藤陽道の回が再放送されていた。番組のラストで、胸がいっぱいになるとき、について語られていて、胸がいっぱいで何も言えない=言葉が不在という等式は成り立たないのだと、そこにはすでに言葉の萌芽、もしくは言葉以前の言葉があるのだということを確かめられた。言葉にならないことを身辺の言葉に当てはめようとせず、言葉にしようと踠いた痕(跡ではなく痕)に留まる血のようなものが私の、あなたの、あの人の言葉であるのだと思った。だから心拍数が上がり胸がいっぱいになるのだ。身体を巡る血液は言葉になる前の言葉だ。言葉は生きている者しか持ち得ない。自分も含め、なぜあの人もこの人もお金にもならないのに文章を書くのか、そんなの生きているからじゃないかと、思って、寝た。

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海沿いのジョナサンで朝食を取る。街中で見かけるジョナサンよりずっと外観も内装もハマっていた。街裏ぴんくの『ヒップホップジョナサン』漫談を観てほしいとのことで、街裏チャンネルで観て、「皆さん!1週間後にオープンしますね遂に!ヒップホップジョナサンがあ!」に笑いながらも、自分は今テンションがぶち上がる海辺のジョナサンにいるため、その笑いは訳のわからなさに対してが3割、共感が7割を占めていた。

宿に戻った後、フロントの人にロビーでPC作業をして良いか訊くと快諾してもらえた。2時間ほど作業する。ある作品の解説をせっせと書き進めるも終わりが見えない。書きたいことが多すぎて指定されていた文字数を大幅に超過する旨を作品の書き手に伝えると、そんなことはどうでもいいから早く書いてくれと怒られた。日に日にやつれていくその人にエールを送るつもりでキーボードを打ちまくり、作品を印刷した紙にがりがりメモを書き入れた。割と順調に進んだが、どうしても抜け出せない穴にはまってその日は終わりにした。

夜は近くのリゾートホテルの浴場に行った。電子チップの埋め込まれたリストバンドでロッカーを開閉する必要があったのだけれど、あろうことかそのリストバンドをロッカーの中に入れたまま扉を閉めてしまったことに、露天風呂を堪能後、脱衣所に戻ってから気づいた。すっぽんぽんでロビーに電話をかけ、スタッフの人が来てくれるまで柱の影に隠れて待つ。脱衣所には同じようにすっぽんぽんの人がたくさんいるのに、すっぽんぽんである理由が違うとこんなにも恥ずかしい。まだ服を着ていた頃(あの頃はよかった)に、ヘアブラシの置き場所を教えてあげたおばあさんたちとすれ違い、会釈をされる。おばあさんたちは館内着を身に纏っていて羨ましかった。どこでこの差がついたのか。鍵を持ってきてくれたスタッフの人に、すみません、すみません、と頭を下げた。全裸謝罪。この先、すっぽんぽんで人に頭を下げることなんてもうないだろうなと思った。あったら困る。

旅っぽい食事をとっていなかったので、せめてもの気持ちで中華料理屋に行った。餃子もあんかけ焼きそばもおいしかったし、特にトマトの卵炒めがおいしかった。帰りは食後の腹ごなしも兼ねて夜の浜辺を歩いた。月の光が海面に線を引いていた。斜めに揺らめくその線は海の立て髪のように見えた。カップルだろうか、二人組が波打ち際ではしゃいでいて、暗いせいで2人が海にざふざぶ入っていくように見えてハラハラした。昼間に行ったジョナサンは暗い海辺で唯一煌々と光っていて、あれが私たちが向かうべきゴールだと言われれば納得してしまうほど堂々とした光だった。

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翌日、北に400kmほど移動した。はやぶさに乗っていると思うと嬉しかった。東北新幹線はやぶさの配色は、上部が常盤グリーン、下部が飛雲ホワイト、中央の帯がつつじピンクというらしい。北海道版の中央の帯は彩香パープルだそうで、わざわざ色を変えた点に、人がつくった乗り物であることが表れているように思う。

JRに乗り換え、1時間ほどで目的地に着いた。あたりはすでに真っ暗だったため、翌朝朝食を買いに行きつつ軽く散歩した。15年前を思った。15年もあれば赤んぼうが中学校を卒業する。長いともあっという間とも思える。どれだけの時間が流れたかを考えるよりも、その時間の中で起きた事柄を調べ、話を聞かねばと思った。

帰りのJRで、隣のボックス席に座っている人が辛そうな咳を繰り返していた。その人の向かいにいた人が、見かねたのかのど飴か何かを差し出したのだが、咳をする人は大丈夫です、と断っていた。向かいの人は、差し出したのど飴をバッグに戻そうとしたり自分のポケットに入れようとしたりした後、窓の外に目をやった。私も窓の外を見た。川を超えた。ずいぶん遠くまで見渡せることを、手放しに喜んではいけないと思った。

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東京駅には人がたくさんいた。行き交う人々は行き交おうとはしていなくて、皆それぞれの目的地に、誰かのもとに向かっている。会いたい人に会うまでに会いたいとも思わない何人もの人とすれ違い、ぶつかりそうになったり舌打ちをされたり目を引かれたりしながらどこかを目指している。今から500km移動する人もいるだろう。大きな荷物を持った人とすれ違うとき、その人から潮の匂いがした。懐かしかった。故郷の匂いなのか、この1ヶ月に訪れたどこかで嗅いだ匂いなのかわからなかった。

なっちゃん行かないよ!

2026.02.28

 

おれ?こんぐらいならどこにでもいるだろ、と店員は白子ポン酢に刻みネギを盛り付けながら笑う。いやいや、相当イケメンだと思うけど、と客の一人が言うも、店員は訂正する。白子ポン酢が私のもとに運ばれてくる。あ、でも、と店員は続ける。うちの坊主がバレンタインたくさんもらって帰ってきたわ、と。血だよ、血〜ほら〜、とオーディエンスが騒ぐ。息子の写真ないの? 昨日のサッカーの写真あるけど。え!かっこいい! いや〜そうかなあ、でもママ似ってよく言われるから似てないかも、パパかっこいいとかないし、パパ似なのは娘のほうじゃないかなあ、娘の写真も見る? え!見る見る、え〜!かわいい〜中学生? そう、反抗期、パパ寂しい。

一人称が変わる瞬間を見た、と思った。それでここまでの会話をメモしているうちに話についていけなくなり、改めて会話を耳を傾けると、「人生はギャンブル」という話題に移り変わっていた。イケメンとか血とかいう話にはげんなりしたが、一人称が変わる直前に、ママ、が出てきたことがトリガーになったのかな、などと思うと頭の中で何らかのモーターが高速で回転しはじめた。

ぼろぼろになりながら向き合っていた原稿に区切りをつけ、飲み屋のカウンターで一人瓶ビールをガバガバ飲んでいた私は、他人の話を今こうしてメモしている。店員が後ろを通るたびにスマホの画面を暗くする。

昔、僕という一人称を使っている人に、僕と呼ぶのが似合うね、と言ってえらく怒らせてしまったことがあり、以来、一人称については触れないようにしているのだが、モーターがしゃかしゃかしゎかしゃかうるさくてかなわない。今、俺、からパパ、に変わりましたよね。そんなふうに店員に話しかけたら、一体どんな顔をされるのだろう。何かを思い出す、もしくはイメージするときに、〈私〉は、とか〈俺〉は、とか用いないけれど、もしも実験的に一人称を用いたら、ころころ変わっている可能性はあるのだろうか。それはもう、誰かに聞かせる話のテイになってしまうから、実験としては不適切なのだろうか。

白子ポン酢をつつきながら考え事をしていたら、隣に座っていた人たちが髪色を褒めてくれたのだけれど、その言い方には嫌なざらつきがある気がして、明日黒く染めるんです、と嘘をついてイヤホンをつけた。ヤな感じの対応をしてしまった、と、イヤホンをつけてから気づいたが、音量を上げて自分の世界に逃げた。

 

先日、大学時代を過ごした街に 5、6年ぶりに行き、一番仲の良かった友人、大切すぎてまた会おうよとはなかなか言い出せないほどの友人と、喫茶店で会い、お互いの近況を話した。ちょうどその前の日の出来事を話している途中、相槌が聞こえなくなったので顔を上げれば、彼女は鼻を真っ赤にして泣いていて、訳を聞くと、あなたが自分のことをそんな良い顔で話してくれる日が来るなんて、と言った。安心した、と。泣くと鼻が赤くなるところ、変わってないんだね、と思った。

次の予定まで残り時間がギリギリになったタイミングで、彼女は、夏にわたしお母さんになるんだ、と言った。毎日本を読み聞かせしているんだ、と言った。そして、あなたみたいな子になってほしくて、と言った。私は顔を覆って泣いた。別に私みたいになる必要はないし、なってほしいなんて思わなくて良い。その子はその子らしく生きていけば良い。でも、彼女が読み聞かせをする動機に自分の存在があることが、堪らなく嬉しかった。読み続けていて、書き続けていて、良かったと思った。

帰り際に彼女のお腹に手を当てさせてもらった。お腹の子に何を伝えようかと考える間もなく、こっちは楽しいよ、という言葉が出てきた。

彼女は大学生の頃、自分を「あたし」の発音で呼んでいた(と私は思っていた)が、久しぶりに会った彼女は自分を「わたし」と言っていた(と私は思った)。

イヤホンでモグワイの曲を聴いているうちに、喫茶店での一幕を思い出し、胸がいっぱいになった。

 

 

飲み屋からの帰り道、後ろから小さな子どもに勢いよくぶつかられ、振り返り、大丈夫かと訊くと、子どもは笑った。かわいかった。その後ろから親御さんがベビーカーを押しながら近づいてきて、ぺこぺこと謝られた。子どもはまた走り出す。なつか!(なつこだったかもしれない)、なつか! と親御さんが呼びかけると、子どもは振り返り、なっちゃん行かないよ!と言った。なつか、と呼びかけられ、なっちゃん、と返した。この子はいつか、自分を〈なっちゃん〉とは呼ばなくなるかもしれない。〈私〉とか〈あたし〉とか〈僕〉とか〈俺〉とか〈おいら〉とか、他の呼び方に変わるかもしれない。子どもはまた走り出す。その後ろ姿は、変わりゆく一人称の道を走っていく人のようにも見え、勝手な想像はそのへんにしとけと思いつつも、目で追ってしまった。そこは歩行者専用の道なので、車の心配はしなくて良いのだが、私の前を歩く人たちも、その子どもを気にかけているようだった。

 

一人称について考えていた日に、こんなシーンに遭遇するのか! 嘘みたいな話だと思った。運命でもなんでもなく、自分が考えていたことと目の前の光景を都合よく結びつけただけだが、家に帰ってからも、何度も子どもの後ろ姿を思い出した。

 

 

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夕方、リビングの扉のすりガラスから滲む光が綺麗だった。

手を離す

ソファに座っていたら左半身がどんどん寒くなってきて肩をさすりながら左を向いたら、しおしおになった植物が目に入った。部屋の中をよく見れば他の植物たちも皆俯いていて、ごめんね、ごめんねと言いながら水をあげた。水をあげながら、毎日ポジティブな言葉をかけた花とネガティブな言葉をかけた花とでこんなに違いが出る!みたいな検証動画を昔観たことを思い出し、なにかポジティブな言葉をかけてあげようと思ったけれど何も出てこなくて、咄嗟に『忍風戦隊ハリケンジャー』のOPを歌った。ハリケンジャーのOPのイントロのトゥルルルトゥルルルみたいな音が好きなのに、イントロを端折ってAメロから歌い始めてしまって、でも声でイントロを表現したってトゥルルルトゥルルルの良さは出せないから仕方ないし、誰かが聞いているわけでもないし、と頭の中で必死に弁明している自分がいて、しょうもないと思った。植物に聞かせようとして歌ったはずなのに、誰かが聞いているわけでもない、なんて考えに着地した自分のしょうもなさにしょうもな、と思った。描きかけの犬の横顔の絵が数枚床に散らばっていて、拾い集めてトントンと端を揃えてから捨てた。この部屋にはギターもピアノもタンバリンもあるのに一斉に弾くことはできない。椅子もいくつもあるのに一斉に座ることはできない。ウィダーinゼリーもたくさんある。週末に買い足した。ウィダーinゼリーも一斉に食べることはできないがウィダーinゼリーは一斉に食べるのが似合わない食べ物(飲み物)だからそれでいい。お腹が空いたのでペペロンチーノを作ろうと鍋で湯を沸かした。先日おいしいペペロンチーノの作り方を教わって以来、狂ったようにペペロンチーノばかり食べているのだ。でもいつか、私はペペロンチーノを作るのをやめるだろうという予感がある。それがいつかはわからないけれど、頑なに作らないと言ってきかなくなる日が来る。最近よく話す人が、今日の出来事がいつかこういうふうに感じられる日が来るかもしれない、というようなことを言っていて、いつかこういうふうに感じられる日が来てからではなく、それよりずっと前の今日の時点で、いつかに対する希望的な眼差しを向けていることにハッとさせられた。私は嬉しいことや楽しいことがあると、絶対に誰にも壊されないように、深い深いところ、水族館とかで使われているのと同じような分厚いガラスで囲われたところに入れて布をかけ、時折その布をめくってガラス越しに見つめるだけにとどめてしまうことが多いけれど、手を離す際に「いつかこういうふうに再会できたらいいね」とだけ声をかけて、どこへでも、どこまでも自由に飛んでいけるように放し飼いにできたなら、なんていいんだろうと思った。それで今日、弟に親友っている?と聞かれて答えようとしたら、姉(弟にとっては一番上の姉)が親友?と続けて聞かれ、そうなるかもね、と言うと弟が嬉しそうにしていたことを、今日のその記憶を、放し飼いにすることに決めた。手を離す際に言ったことは、恥ずかしいので書かない。
仕事や生活、自分のからだのことを考えると気が重くなり、お風呂に入る前に本を一冊読もうと、文フリ京都で購入したミワさんの『ここからそこまで、その往復あるいは距離』を読んだ。

「泣けた!」と太鼓判を押される本はたくさんあるが、ミワさんの文章はそれらとは違い、「泣かなくてもよくなった!」という気持ちになる。いつもなる。
収録されている『風景』を読み、ちょうど今日自分が考えていたことをなぞるような気持ちになった。

 

近所に開かずの踏切がある。10分は確実に開かず、20分ほど待つ時もある。今日、その踏切に引っかかってしまった。大抵引っかかるのは夜で、赤い点滅をボーっと眺めることになる。なぜだか今日は、その風景を構成する要素全てが目に入り、世界ってとんでもないのではないかと思った。赤色の点滅、電車が来る方向を示し発光する矢印、風でしなる黒と黄のバー、電車が通り過ぎる時に見え隠れする向こう側で待つ車や自転車のライト、遠くに見えるアパートの窓から漏れる光。電車が通り過ぎる音、風の音、話し声。そして、そこで待つたくさんの人々。踏切が開くのを待つ、という風景は様々な要素が重なり合い今目の前にあるのだ。そんなことがとても奇跡的で美しく思えた。なんでもない風景という表現があるけれどそんなものは絶対に無くて、何もないように見える目の前の全てはもう二度と訪れない瞬間なのだ。もちろん、いつも目の前の風景をそんな奇跡みたいに捉えられるわけではなくて、明日になればこの踏切の風景も忘れてしまうかもしれない。けれども、美しいと思ったこの瞬間は紛れもなく存在していて、ふいに思い出す日が来るような気がしている。

 
グッときて長々と引用してしまった。あと、最後に収録されていた『真鶴再び』に出てくる一文も何度も読み返した。

家々からは掃除機の音やピアノの音が時々聞こえてきて、なるべく生活の邪魔をしないようにと歩いているといつの間にか見知った道に出ていて、港へと辿り着いた。

ミワさんは嬉しかったことや楽しかったことだけでなく、生活そのものをそれ以上でも以下でもなくただただ生活として受け止め、嬉しかったことや楽しかったことと同じように掬い上げているように思う。ここで指す生活とは、自分の生活だけではない。優劣をつけずにそれぞれにやさしく声をかけ、ふさふさの毛を揺らして歩く犬たちを見送るように、静かに手放している。私もそうでありたい。
だから、だからっていうつなげ方は変だけど、捨てた画用紙をゴミ袋から取り出した。

はやくコップを洗わなくては

2025.12.12〜2025.12.21

 

12日の夜、丸の内線のホームである大きな楽器を抱えて泣いている人がいて目が離せなくなった。ある大きな楽器とは何だったのかはここに書かない。人目をはばからずちゃんと泣いていた。その姿をじっと見てしまった。あっちいけよ!と思われていただろうか。そのとき思ったことを忘れないでいたいと思ったから日記に書いたつもりだったけれど、見返すと駅のホームで人が泣いていたことしか書かれてなかった。忘れないでいたいと思ったのと、忘れないでいたいから書く、の間に何かがあったのだろうけど、その何かを覚えていないし、忘れないでいたいと思ったことも覚えていない。日記を書いていたときの私の狙いどおりになっているのかもしれない。と思ったこともどうせ忘れてしまう。本当は、駅である楽器を抱えて泣いている人を見てこういうことを思ったんだよ、と誰かに話したくて、誰かというのはその光景を一緒に見ていた人であってほしくて、でもそんな人はいない。だから自分に向けるしかない。日記は、後で誰かに話すための練習にもなる。とはいえ誰かに話さずに終わってしまうことの方が多い。せめて、その光景を見ていないけれど見える気がするよ、そのとき思ったことは思えないけどわかる気がするよ、と言ってくれる人がいたら、どこまでだって走っていける気がするけれど、そんな人はどこにもいないということもわかっている。でももしかしたらいるかもしれないじゃん、とも思う。

丸の内線の電車内でヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』を読んだ。目的の駅を通り過ぎてしまったので本郷三丁目駅で降りて少し歩いた。駅校舎の屋根が飛行機の翼みたいでかっこよかった。

 

西国分寺駅前で「雑木林のみち」コースを紹介する看板を見つけたので今度歩いてみたいとツイートをしたところ、13日に実行することになった。連絡が来て飛び跳ねた。道中、タコ型の大きな遊具の影が見えたのでワクワクしながら向かったら、ただの紅葉でがっかりした。紅葉にがっかりするなんてひどい。一体どうして、タコの遊具だと信じて疑わなかったんだろう。タコと紅葉、違いすぎる。タコの遊具に見えたのではなく、タコの遊具として見たかったんだろうなあ。だって歩いて歩いて歩き続けた先に、でっかいタコの遊具が待っていたら最高すぎる。タコの遊具だと思ってずんずん歩いていたときの気持ちを覚えておきたいから、今度、タコの遊具のある公園に行ってみたい。

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ここ数週間ほど、覚えておきたいことがありすぎて身がもたない。先ほど帰宅してすぐにリンゴジュースを飲んで、コップを洗おうと台所の蛇口を捻ったまま立ち尽くしてしまった。それで今これを書いている。たとえば先日、通り過ぎていく電車の光が綺麗で、見て!と指差し立ち止まったら、何も言わずにゆっくり振り向いて電車が去っていくのを一緒に見てくれた人がいた。それが本当に嬉しくて、でも申し訳なさもあって、とか言いつつやっぱり嬉しくて、少し涙が出てしまった。日が沈んでいてよかった。そのときの気持ちも覚えていたい。私はあとどれぐらい抱えて生きていけるのだろうか。死ぬときになにを覚えているのだろうか。そうやってぜんぶ覚えておこうとするのは、前提に孤独があるからに他ならない。

 

リンゴジュースを飲む少し前、家の鍵を開けるよりももっと前、駅から歩いているときにハンバートハンバート「ぼくのおひさま」のリンクが送られてきて、おそらくそれが引き金だった。なぜいつも救いの手のような曲を送ってきてくれるのだろう。

 

ぼくはことばが

うまく言えない

はじめの音で

つっかえてしまう

だいじなことを

言おうとすると

こ こ こ ことばが

の の のどにつまる

 

覚えておきたい、の向こうにはだいじなことがあって、ただそれを言えたらいいのにうまく言えない。

 

部屋が寒くて寒くて仕方ない。暖房をつければいいとわかっているのにソファから起き上がれない。書きたいことはまだある。もう2時になる。

 

 

流れていくことに歯向かいながら

書きっぱなしで投稿していなかった日の日記です。

 

 

iPhoneには6℃と表示されていて、3,4年ぶりに引っ張り出したストールを被って外に出る。よく見るとボタンが取れかけていて、駅までの道中何度も結び直そうとした。寒くて手がうまく動かなかった。駅に着くも乗るはずだった電車が遅延していて、運転再開の目処は立ってないとアナウンスが入る。耳を澄ますと「人身事故の影響で〜」と聞こえてきたので、うなだれるのはやめた。

 

なんとか他の路線を駆使して移動する。品川から三河台までは上野東京ラインに乗る。ボックス席がいくつもあり、アナウンスによれば車内にはお手洗いも設置されているらしい。小旅行みたいだと思いながら席に座る。向かいにスーツの若い男が座り、有線イヤホンを耳につけるとものすごい爆音でちゃんみなの曲が聞こえてきた。私でも知っている曲だったけど私はその曲のタイトルは知らない。

 


無事に三河台に着き、お寿司屋さんで昼食を取る。中トロ・ネギトロ丼がおいしすぎてびっくりした。スーパーで売っている寿司パックに一貫入ってればラッキーぐらいの中トロが大量に敷き詰められていて、お腹はものすごく膨らんだけど残さず食べた。

 

「元映画館」は住宅街の中に紛れていた。下はスーパーになっていて、白や黒、茶色が多い住宅街でそこだけ赤が使われているのが変な感じだった。スーパーであることしか知らなかったら変な感じはしなかったと思うけど、その上が「元映画館」で、そこで今から自分が舞台を見ると思うと変な感じがした。

 


席に着いてしばらくすると、観劇中に扉が何度も開くからとカイロが配られたり、砂埃が舞うからとマスクが配られたりした。何人かはカイロが欲しいと手を挙げていた。私もカイロがちょっとだけ欲しかったけど黙っていた。ああいうときに手を挙げられない。今、カイロを配ってくれているその人が、これから、演者としてここに立つ際に、私の存在をできるかぎり空気として見て欲しいから。というのは建前で本当はオドオドしてしまうのを見られたくないだけ。あのカイロはどのぐらい温かかったのだろう。

開演に先立ち、主催の今野さんが前に立った。「上演中、全然トイレ行ってもらっていいですよ。っていうか僕が閉鎖的な空間が苦手なんですよ。なので、ほんと、気にせず行ってください。これ、ほんとに言ってるんで、大丈夫です(意訳)」と言っていた。舞台の中身は全く説明してないけど、これから上演される作品が大体どんなものか分かった気がした。

「元映画館」に張ってある映写幕は銀幕で、裏側が少し透けているという。よく見れば観客から見て舞台左側にも、同じように少し透けた幕が垂れ下がっている。銀幕には、クレジットとその人の幼少期の写真が表示されていく。東京で生まれた人も東京で生まれていない人もいるだろうけど、そんなことはどうでも良くてみんな無邪気な顔をしていてかわいかった。

最初に出てきた2人が「やっと見つけた」と歓声を上げ、手分けして設計図を書いた後、地面に石や水の入ったボールを置いていく。その土地は温泉が湧いているわけでもないし何か特別なものがある場所でもない。舞台の後半、同じシチュエーションで「何もない空間だとして、まず何を作る?」と問いていたように、きっとそこは何もない空間だったのだと思う。何もない空間を見つけてはしゃぐ二人。ほとんどの土地がそんなもんなのかもしれない。何もないことに人は喜んだりはしゃいだりする。

ここから章が変わるたび、内容自体は時間も登場人物も流動的に動いていくが、水というトリガーがずっと使われていく。水を撒く、水の上を歩く、水を注ぐ、水に顔をつっこむ、水を掬って垂らす。その動作が挟まるたび、やっと表れ始めた主題がまた流されていくみたい。固定することを嫌がっているみたいだった。水はすべて流していく。すべて流れていく。それは無かったことにしようということではなく、あったことをあったまま、次に進んでいく感じがした。あと、ちゃんみなの曲がこの舞台の中でも出てきてびっくりした。『ハレンチ』という曲らしいが、それがあのスーツの男性が聞いていた曲と同じだったかもう思い出せない。


特に印象的だったのは第七章だった。「人は昔、川だった」という台詞から始まるその中で、「川では一滴の雫もぜんぶ混ざるんだよ」という台詞が繰り返されていた。7章のラスト、ブルーシートに包まれた二人が、舞台左手の白い幕に向かって泳いでいく。私はその様子が、クジラではなくホームレスの遺体を包んだブルーシートのように見えた。遺体はクジラとなり、子をお腹に宿し、川に向かっていく。ここでも水の上を歩く音が響く。水がすべてを流していく。運んでいく。絶滅してしまった動物たち、今もまだ続いている戦争、一瞬でたくさんの命を奪う災害。すべて起きたことには変わりないが、それを肯定することも無理矢理否定させようとすることもなく、ただ流れていく様が描かれている。それらの大きな出来事と同じように、それぞれの日々が流れていく。日記という形式で一人ひとりの日常が流れていく。止まっているものなど一つもない。しかしそこにはたしかに戸惑いのようなものも含まれていた気がする。戸惑い自体は表出していないが、移ろいゆくものへの寂しさ、同時に蓄積されていく自分の記憶や年齢というものへの苛立ちといったものが散りばめられていた気がした。

だから、だからという接続の仕方は間違っているかもしれないけれど、「目が二つあるのはなんで? 片方だけでも開いていてほしいからじゃない? そうなんだ 会えてよかった 間に合わなかった」という会話がとても胸を打った。泣きすぎて喉がキュッと詰まって息ができなかったけど誰も泣いてないっぽかったから声が出ないようにした。自分の近くのライトが強くなるたびにちょっとだけ影に隠れた。

 


ラストで、あの銀幕越しにされた会話に、この舞台のど真ん中がすべて詰まっていた気がする。「菊沢さん、今年何歳?」「50歳!」「役者何年目?」「30年目」「今から20歳の頃の役できる?」「楽しんでできるよ」私たちはいつか死ぬ。絶滅してしまった動物たちは戻ってこないし戦争はまだ終わらないし終わったとしてもなかったことにはならないし前とは確実に何かが違うしそのことすら忘れてしまう瞬間があるかもしれないし日記に書いたあの人とはもう会えない。だけどそれをしょうがないって割り切ってしまわずに、死んでしまうことも忘れてしまうことも会えなくなることも嫌がって、地団駄踏みながら、でもときには、過ぎてしまったことからの恩恵も受けながら生きていく。

死ぬまで生きていく。

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『袋2』のパトカー

2025.04.05

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外へ出たら始業式の気持ちを思い出した。入学式の気持ちも卒業式の気持ちもよく覚えていないのに始業式の気持ちはよく覚えている。学校とは唯一の世界ではなくこの広い世界の一部でしかないのだという実感が風と共に心に迫ってきて、そうだったそうだった新学期なんて大したことないのだったと安堵したものだ。あれはきっと、通学路ですれ違う新入生たちの緊張した顔やピカピカのランドセル、ぶかぶかの帽子を見て「私もそうだった。でも今はそうじゃない」と思ったからかもしれない。普段触れている昨日・今日・明日という短い時間軸ではない、もっとおおきな時間の存在を感じたのかもしれない。それとも春の風に混じって先輩風を吹かせたかっただけだろうか。

学年が上がっただけなのに友だちはどこかよそよそしくて、でも元気?とか最近何してるの?とか今日は暑いね、なんて言わずともいつのまにか会話が始まっていた。あの頃の方が人と話すことが簡単だった気がする。もしくは、下駄箱さえあれば良いのかもしれない。靴を脱ぐ、上履きを出す、靴をしまう、その一連の動作に合わせて口がするする動いた。下駄箱は"ながら会話"を発動させる優れた装置だった。

 

電車に乗るといつもよりも車内が明るくて、人々の装いが春物に変わっていることに気づく。私も長らく着ていなかった服に久しぶりに袖を通したので、周りを見ているうちに変な勇気が湧いてきて上着を脱いだ。タンスから久しぶりに出てこられた服に光を見せてやる。これが春だよ。上着を畳んで前を向くと、目の前に座る子どもが不機嫌な顔をして何度も帽子の向きを変えていた。新しい帽子で落ち着かないのだろうか。

今日観る予定の舞台の上演時間が遅かったので、時間を潰すために池袋のジュンク堂に寄る。いつも思うが時間を潰すために本屋によってはいけない。潰すどころか食われてしまう。あっという間に1時間が経ち、先日おすすめされた佐藤正午『熟柿』だけ買おうと思ったら、海外文学フェアの平台に積まれた一冊に目が止まった。

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  朴玟奎『ピンポン』。ヒーロー見参!ヒーロー見参!そのタイトルには無条件に手を伸ばしてしまう。表紙に書かれた、山村浩二のようなテイストの奇妙で愛らしいイラストも相まって興味を持った。何となしに手に取っただけだったが、裏表紙の帯に載っていた一文を読んで買おうと決めた。まだ半分ほどしか読んでいないが、すこぶる面白い。今のところ今年ベストだ。

レジを待ちながら、肩を狭めて『ピンポン』を読んでいると、前の人も同じ体制で本を読んでいるのが見えた。『〇〇の犬』と表紙に書かれていて、それがすごく気になったのでメモしておこうと思ったが、そうこうしている間に自分の番が来て結局忘れてしまった。あれは何という本だったのだろう。ジャンク堂を出てすぐの交差点で信号を待ちながら『ピンポン』を開く。と、先ほどの人がまた本を読んでいるのが見えたので、表紙だけ見えないか目を凝らしたが暗くてよく見えなかった。

まだ上演まで時間があったので、信号を渡ってすぐの喫茶「伯爵」に行く。私はピザトーストが大好きなので、コーヒーとピザトーストのセットを頼む。届いたピザトーストを頬張りながら、道路を行き交う車を見下ろす。ふと、パトカーのルーフにでかでかと書かれた「袋2」という真っ黒な文字が目に入った。なぜルーフにこんなに大きく書かれているのだろう。上から見ることを想定しているとしたら、どんな時に役立つのだろう。想像する。犯人が立てこもっているビルの隣の雑居ビルで、ブラインドを少し開いた刑事が呟く。「袋2が向かってきてるのが見える、っつーことは渋1もそろそろ到着する頃だろう。突撃するのはあと2分後だ」ーーー。袋1は今どこを走っているのだろう。袋3も4もあるのだろうか。

 

東武東上線に乗って中板橋に向かう。劇場に着くとすでにちらほら席が埋まっていた。劇団うらおもて『いつか持ち帰った断片〈集〉』。席に着き当日チラシを読み込む。どんな規模でもどんなスケジュールでも、チラシをきちんと用意する劇団のことを私は信頼したい。5分ほどのショートショートを5本、合計30分という短い舞台だったが、遥か昔から今、そして未来を覗き見してくるりと回って帰ってくるような、そんな舞台だった。総じてとても面白かった。昔、始業式の日に感じた大きな時間の存在に久しぶりに触れたようで嬉しかった。これからも時々触れられるのなら、そうやって生きていけるのなら、こんなに嬉しいことはない。この舞台に感謝したいと思った。

先週観た玉田企画『地図にない』もとても面白かったし、どちらも地下の劇場で行われたものだったからか、外へ出た時の感覚が強く残っている。階段を上がって街に出れば、そこにはいつもどおりの日常が広がっている。昔、私を舞台に初めて誘ってくれた方が「こんなに面白いものが、こんな地下で行われていたことを、今同じ街にいるほとんどの人が知らないんですよね」というようなことを言っていた。その言葉に今なら深く頷ける。だから舞台は面白いとも思う。

 

明日からまた月曜が始まる。昨日・今日・明日という短い時間軸がくり返される。でもそうじゃない時間軸のことを知っているから、別に嫌ではない。