2026.03.11~2026.04.07
もういらないの、いらないね、あらまだいるのそうなの、とブツブツ言いながら白い欠片を川に投げるおばあさんの手元には耳だけ残った食パンがあり、2羽のカルガモは投げ込まれた食パンのやわこいところをヒュンヒュン吸い込んでいく。掃除機みたい、と思う。カルガモの形をした掃除機があるなら絶対に買う。掃除機よりハンディクリーナーのほうがいいか、風切羽を押したら嘴が虹色に光る仕様にしたい。おばあさんはこちらに気づいてか、もういらないと思ったのに〜、もう、なに、いるの? なあに、いるの〜、と仕方なさそうに食パンを投げる。やりたくてやってるんじゃあないですよ、というアピール。そうですよね、カモが食パンを欲しがるから仕方ないですよね、という気持ちを込めて頷いてみる。あらこんにちは、と二人目のおばあさんが登場。パンを投げていたおばあさんは、今日も忙しくて、と食パンの耳を高々と掲げる。二人目のおばあさんは、いろんな花が咲いているね、と土手を見渡し、あたしが子どもの頃は花なんて二種類しかなかったもの、と続ける。二種類はさすがに言い過ぎではないか。
おばあさんたちの背後を抜け、川沿いをいく。水量の豊富な多摩川から江戸に上水を運ぶために開削された玉川上水旧水路はその大半が暗渠化されており、うねる緑道には雪柳や木瓜、おもちゃのような遊具やチョコレート色のベンチが続いている。その緑道の脇から漂ってくる甘くスパイシーな匂い、沈香のような匂いを辿れば沈丁花が恥ずかしそうに咲いていて、もっと堂々としていいんだよと思いながら歩く。

隅に設置された雲梯にぶら下がった子どもが、無理だあ、と手を離すと、その後ろにいたお母さんは黙ったまま雲梯のバーを掴み、つっとつっとつっと、と慣れたように移動した。2本飛ばしだ! 身体の反動を活かしてあっという間に渡りきる。かっこいい。お母さんかっこいいよ。子どもはぼうっとした顔でお母さんの後ろ姿を見ている。きみのお母さんかっこいいよ。よく見ておきな、と思う。ごはんをつくったり、洗濯をしたり、きみを自転車の後ろに乗せて立ち漕ぎしたり、お化粧をして仕事に行ったり、たまにお酒を飲んだり、それだけがきみのお母さんではないんだよ。
親子を追い越すと、幹にプラカードを下げたソメイヨシノが目に入った。

法面保護工事のためこちらの樹木を伐採し新たに若い桜の木を植える予定です(伐採時期 令和8年5月以降)
あなたは今年、最期の桜を咲かせるんだね。そのことを知らせるプラカードを首から下げさせられているなんて、状況だけ切り取ればちょっと残酷すぎやしないか(これが桜ではなく人であれば大問題である)。かといって予告も無しに切り倒せば非難が寄せられるかもしれない。毎年開花を楽しみにしていた人もいるだろうし、その非難は真っ当なものである。プラカードを設置した人にも非はない。誰が悪いとかではない。それとこれとは抜きにして、死の宣告を受けてもなお堂々としている桜を見ているとその健気さに胸が痛む。とはいえ桜はプラカードに何が書かれているのか知っているのかもしれない、知った上で道化を演じているのかもしれない、とも思う。だとしたらとんでもないエンターテイナーだ。『ライフ・イズ・ビューティフル』のあのシーンをふと思い出す。
遊歩道を降りて住宅街を進むと、小さな公園に突き当たる。ムツゴロウという名前のスプリング遊具を正面から見たらめちゃくちゃ怖かったので側面の写真を撮った。寄った黒目と大きく開いた口の組み合わせのせいか、ひゅっと吸い込まれそうだ。子どもが子どもなら泣くぞ。そのシリアスさを中和する前頭部の茶色いでっぱり、江戸時代の吹前髪にも見えるそれがなければ私でも悲鳴を上げて逃げ出していた、というのはさすがに言い過ぎか。花なんて二種類しかなかった、と同じぐらい言い過ぎだ。
写真を撮ってから振り返ると、公園の隅に這いつくばる子どもの足の動きに合わせて、お父さんがあら、あら、あら、と音頭を取っていた。むくりと顔を上げた子どもと目が合い気まずかった。

ここから700km移動することになる。
腰がバキバキになる。腰のバキバキは、1週間経てど2週間経てど治らなかった。むしろ悪化した。その後も新幹線や電車を乗り継ぎ移動しつづける日々が待っていたからだ。
水島臨海鉄道に乗る。倉敷市駅の外壁には「水島臨海鉄道のりば」と書かれており、「水島臨海鉄道」は淡い水色で、「のりば」は赤色で塗られている。水島臨海鉄道は水色として記憶される。こうして文章にしている今も「水島臨海鉄道」は水色に見える。正しくは黒く表示された文字を水色として受け止める、受け止めにいく。
電車はワンマン。ボックス席とロングシートが千鳥形に配置されている。一番奥まで進み、ロングシートに座る。電車が動き出す。
一軒だけ明かりの灯った住宅がある。そこに人がいる、生活がある。夕飯作るの面倒だなとか、先月の電気代高くついたから我慢できる日は暖房切ろうかなとか、子どもの部活動の送迎当番いつだっけとか、本当にそんなことを考えているかは知り得ないけれど、そう考えている人がいるのかもしれないと想像できる。生活があるとわかると、そこに心もあるのだと思える。部屋を灯すための明かりが、部屋の外を通る者の心を灯すこともあるのだ。たとえ電車で通り過ぎるだけだったとしても。

水島駅から200メートルほど北上すると県道を跨がる歩道橋があり、その柵は腰上に届かないほど低かった。大人なら簡単に乗り越えられてしまうほど低かったように思うが、そんなに低くなかった気もする。歩道橋を一緒に渡った人は、こわいこわいと背中を縮こませていた。橋梁の下をビュンビュン通過する自動車たちに手を振った。ダンプカーがバオーと言っていた。
700km戻り、枯れかけのフリージアを花瓶から出して捨てる。花を捨てるときの罪悪感に名前があるのだろうかと調べると「罪悪感は必要ありません。花はあなたに楽しんでもらうために咲いています」といった内容の投稿を見つけた。より罪悪感が増した。chatGPTに相談すると「花棄罪」「花別罪」など煽る名ばかり提案された。プロンプトがよくなかったか。何度訊き直しても似たようなことばかり返すので、喧嘩を売っているのかと訊くと、冗談です、と返ってきた。
その数日後にまた550km移動する。
新幹線は時間だ。時間すぎる。今が瞬間の連続であることを目に見えるかたちで差し出してくるから焦る。その速さに身を任せれば死がこんなにも近くに迫ってきて、これってプレミアムジェットコースターじゃん、と思う。風も当たらず、がくんがくんと振り回されることもない快適なジェットコースター。ジェットコースターの何倍もの速さで進むジェットコースター。ジェットコースターがなければ新幹線に乗ればいいじゃない。後日、iPhoneのメモに打ち込まれた「新幹線はプレミアムジェットコースター」という文字列を見て一人笑った。
音楽を聴きながら窓の外を見る。車窓が向かいの建物に反射していて、もう一人の自分を乗せた新幹線が街中を走っているようだった。透明な電車に乗ってぬらりくらりと泳いでいきたい。

新大阪でねぎ焼きの店に入ったが、急いで食べたせいで味がぜんぜんわからなかった。急かされているわけでもないのに息をつく間もなく食べ切った。一人で食事をすると、はやく!はやく!と耳元で叫ばれているような気分になるときがある。
向かいの卓のおじさんがおこたこ、おこたこ、と言っていて気になったのでおこたこが到着するまで水を飲みながら待つ。急いで食べたせいで胃が苦しかった。届いたのはお好み焼きとたこ焼きの相乗せプレート。おこのみやき&たこやきね。響きのかわいさにかまけていた、と反省。なんの捻りもないどストレートな名前だ。冷静に考えればすぐにわかったはずなのに。おこたこがかわいいのが悪い。
大阪で一泊する。朝起きて身支度をしながらスマホを開くと、ウィトゲンシュタインの『哲学探究』から引用した一文がLINEで送られてきていた。その一文を絶対に忘れることがないよう、何度も口に出しながらシャワーを浴びた。絶対に忘れたくない。受け取った瞬間から過去に流れていく言葉や光景を、それこそ新幹線の車窓から見えた景色のように流れていってしまうものを、じたばたもがいて繋ぎ止めようとする、そういう足掻きを死ぬまで続けたいと思った。死ぬまで忘れない。あなたが忘れても忘れない。
特急くろしおで和歌山駅に向かい、JR和歌山線に乗り換える。電車に乗っている間にどんどん日が落ちていく。宿の最寄駅で降りた後、やけに広い薬局で迷子になりかけた。畦道で踊った。愉快愉快、と言われ上機嫌になった。

仕事を終えて和歌山駅でくろしおを待つ間、売店でごまどうふと『かげろう』という紀州銘菓を買った。『かげろう』の名前の由来は「浜辺に漂う陽炎(かげろう)の様に儚いというイメージからこの名前がつきました」ということ。浜辺に漂う陽炎……あれ、蜃気楼と陽炎って何が違うのだっけ、と調べてみれば、密度の違う空気がかき混ぜられて光があっちこっちに屈折することでその向こうの景色が歪んだり揺れたりして見えるのが陽炎で、密度の違う空気の層によって物が浮いたり反転したりして見えるのが蜃気楼で、過去に書いた文章で誤用していたことに今更気付いた。わかったふりをしてはならない。わかったふりは表現を後退させる。停滞ではなく後退させる。
帰りの新幹線で、西に向かう新幹線とすれ違った際にカメラを構えた。こちらと同じ構造の車内が見えた。向こうにも車内がある、ということが奇妙に思えた。向こうにも現実が、身体があるのだ。

東京の自宅に戻り、次の日は松本に向かった。出張続きの日々から一旦抜け出す。特急あずさは速さがダイレクトに身体に伝わってきて少し酔ってしまったが、ほぼプレステⅤの見た目はかっこよかった。プレステⅤに似すぎではないかと調べたら、同じことを思った人が何人もいるようだった。
松本にはあっという間に着いた。こんなに速く着くならもっと前から訪れればよかった。改札の外で待っていた友達は、私の髪を見て、青い、と言った。似合ってるとか奇抜だとかではなく、事実を事実のまま伝えてくれることに安心する。ごった返す駅の中でぶつかった人に舌打ちをされたが、帳尻が取れた、と思った。これでもう楽しいことしか起きないと確信した。そしてそれは事実となった。
駅の外に出てすぐ、まずは深呼吸した。空気がおいしいと思った。地元にいた頃は空気がおいしいという表現を胡散臭く思っていたが、上京してからその意が身にしみるようになってしまった。空気そのものおいしさというより、深呼吸し切れるかどうかでおいしさを定義しているのだ。
まずはやや遅めのお昼ごはんを、ということで、おすすめのお店に向かう。途中、PARCOの残骸の横を通った際に、建て替えた後はドンキが入るのだと教えてもらった。PARCOからドンキは、色々含ませすぎている。詳細を説明されずとも事情がわかってしまう。女鳥羽川沿いを歩き、おすすめのお店こと三代食堂でとり天盛りを頼む。先日、いつも通っている美容院のアシスタントさんがおすすめしてくれたお店だということに店に到着してから気づいた。とり天盛りはびっくりするほどおいしかった。特に舞茸の天ぷらが気に入った。奥の座席には石油ストーブが置かれていて、重力のある空気に肩を揉まれているような気分になった。幸先が良すぎる。

お腹を満たした後は松本市美術館に向かい、草間彌生の常設展と企画展「民藝誕生と松本」を見た。美術館の受付はかなり混み合っていたが、友達は「みんなサンリオ展(特別展)目当てですよ、大丈夫です」と言っていて頼もしかった。実際、企画展はほぼ貸切状態だった。幸先の先も良すぎる。松本の民藝運動をごりごり進めた作家たちのことを思う。東京から離れたこの松本の地にこだわったその作家たちがいなければ、今ここに展示されているものの多くは生まれなかったのかもしれないと思うと、松本への愛着が顔を出す。幼い頃、よく家族で訪れていた地域だったことをこの時思い出したが、友達には言わなかった。
美術館を出た後は街中をぶらぶら歩いた。松本はなんて散歩に向いている地域なのだろうか、道中には興味をそそる店や建物が順々に立ち現れ、少し疲れたなというタイミングで、待ってましたと言わんばかりに川が鳥の鳴き声や花々で癒してくれる。

休憩がてら入った喫茶店の、部屋の隅に置かれた本棚のラインナップが思い入れのあるものばかりで驚いた。珈琲も紅茶も信じられないほど薄かった。
その後、待望の本・中川に行く。話には聞いていたが、想像以上に素敵な書店だった。友達が店主さんと話している最中、カウンターの奥から顔を出した猫ちゃんがナアナア喋っていて、それに対して大人たちがどうしたの〜なあに〜と返していてなんだかもうその場で丸くなって寝たくなった。居心地が良すぎた。好きな本の隣に好きな本が、そのまた二つ隣に好きな本が……と初めて来た本屋とは思えない親しみを感じる品揃えで、けれど民俗学や社会学、自然科学、エッセイの棚は初見の本が多く、そのあたりから2冊選び、購入した。購入した本を受け取るときの、手から手へと渡されるその行為が嬉しくて、だから行ったことのない本屋を訪れたくなるのだと思った。こんなのほぼ握手じゃないか。靴を脱いで上がる本屋が持つ、本棚に満ちた空間としての佇まいに拍手を送りたくなった。松本での思い出はたくさんできたが、本・中川での時間は特に印象に残った。

次の日は山山食堂で朝食を食べた。席が空くまでの間、2階の展示を見ていると、ペーパーウェイトやブックエンドに使われている石をはじめ、そこかしこに置かれた石がどれもかっこいいことに気づいた。展示をしていた方の一人に、これはどこの石なんですかと訊くと、その人は自分は石の写真を撮っているのだと壁に貼られた大きな石の写真を指差した。ああ、だからかと合点がいった。下に降りてバタートーストと自家製ハムエッグを頼む。なんていい朝だ。

友達の運転する車で大町山岳博物館附属園に行く。街を囲む山々がどんどん高くなっていく。あまりに美しすぎてハリボテにも見えるその山は近づくと凹凸や色彩がはっきりしてきて、ハリボテではなく本当にそこにあるのだと実感できた。あまりに綺麗で何枚も写真を撮った。

博物館附属園に到着し、入り口を入ってすぐの舎をうろつく白い生き物を見た。ライチョウだ。うええわわわと変な声が出た。うええわわわと言わざるを得ない、もこもこの足でずんずん歩く様はもう目を瞑りたくなるくらいかわいかった。
首を傾げたときの左脚がかわいすぎた
本・中川に行ったときといい、どうやら自分は胸いっぱいになると目を瞑りたくなるらしいとこの時思った。園を出ると、車窓から見ていた山がどーんと広がっていてしばらく眺めた。

ライチョウに後ろ髪を引かれながら、信濃本町の俵屋飯店で昼食を食べる。餃子は皮がはち切れそうなほど身が詰まっていた。お腹いっぱいになったはずだが、松本に戻る途中のサービスエリアにおすすめのシュークリームがあるとのことで買いにいく。生地はザクザクでこれでもかとクリームが詰まっていて確かに絶品だった。
松本に着いた後は駅一階のお土産売り場でいくつかご当地ものを買い、信濃毎日新聞の松本本社が入っている「信濃メディアガーデン」ではりんごジュースを買った。瓶に入った500mlのりんごジュースは重かったが、きっとおいしいだろうと思うと身体は軽くなった。夕飯にBABAじぃでビリヤニを食べてから再度駅へ。このビリヤニはこれまで食べたビリヤニの中で圧倒的No.1だった。1ヶ月に一度こんなおいしいものを食べられたらいいね、というものを2日間でいくつも食べてしまい、単純計算では6ヶ月分に相当する、という話をして笑った。そんな最中に暗い気持ちになる連絡があり旅の終わりにこれはないだろうと思ったが話したら気が楽になった。電車に乗る前に、友達が開運堂の『白鳥の湖』というお菓子をくれた(帰宅してから食べたが、落雁に似たほろほろしたクッキーかつシナモン風味でとてもおいしかった。
次の日からもまた移動ばかりのバタバタした日々が続いたが、移動に身体が慣れてきたのか不思議と疲労感はなかった。
少し落ち着いたタイミングで目黒区美術館にも行けた。目黒区美術館に行くのは実は初めてで、道中の桜を見たり入り口前の敷子ども用プールのオブジェ、あれはクジラだカメだと話したりするうちに、館内に入る前からこれはいい美術館だと思えた。人と美術館を回る際に、それぞれの見るペースがズレていくことに心地よさを感じる。たまに合流したりすれ違ったり、この作品が気に入ったと報告したり、そうやって、同じ空間にいながらもたった今遠くからやってきたかのように報告し合うあの時間が好きだと思った。最初から最後まで同じペースで回ろうとする人もいるが、まあそれはそれで別の楽しみがあるわけでどちらがよいとかではなく、だから人と美術館に行ければそれでいい。
美術館を出た後、通りの向こうに見えるクリーム色の横長の建物と手前にぽつぽつと並ぶ木々、奥の赤い電波塔を見てさっき見た絵と似てると写真を撮っている横で、いい展示だったなあとしみじみと思った。
休憩がてら喫茶店でコーヒーを飲んだ。予定していた東京都写真美術館には行かなかった。熱海に行った。何百kmも移動していたせいか、熱海なんてちょちょいのちょいだとすぐに腹を決めた。けれど喫茶店を出る前にお手洗いに入って鍵を閉めた際に、松本からの帰りの電車内で読んだ記事を思い出し、国で、世界で起きていることと個人的な日々のあれこれに対する意識の持ちようのバランスを取ることの難しさを思った。それは考えつづけたり意見を持ったりすること以前にある、情報の受け止め方、構え方の問題で、でもどうしたいかは過去の自分が整理してくれていたので入念に手を洗って外に出た。

熱海は雨が降っていた。東京でも降っていたが、熱海も雨だな、とは思わず、熱海は雨なんだな、と思った。テレビをつけたらETV特集で写真家の齋藤陽道の回が再放送されていた。番組のラストで、胸がいっぱいになるとき、について語られていて、胸がいっぱいで何も言えない=言葉が不在という等式は成り立たないのだと、そこにはすでに言葉の萌芽、もしくは言葉以前の言葉があるのだということを確かめられた。言葉にならないことを身辺の言葉に当てはめようとせず、言葉にしようと踠いた痕(跡ではなく痕)に留まる血のようなものが私の、あなたの、あの人の言葉であるのだと思った。だから心拍数が上がり胸がいっぱいになるのだ。身体を巡る血液は言葉になる前の言葉だ。言葉は生きている者しか持ち得ない。自分も含め、なぜあの人もこの人もお金にもならないのに文章を書くのか、そんなの生きているからじゃないかと、思って、寝た。

海沿いのジョナサンで朝食を取る。街中で見かけるジョナサンよりずっと外観も内装もハマっていた。街裏ぴんくの『ヒップホップジョナサン』漫談を観てほしいとのことで、街裏チャンネルで観て、「皆さん!1週間後にオープンしますね遂に!ヒップホップジョナサンがあ!」に笑いながらも、自分は今テンションがぶち上がる海辺のジョナサンにいるため、その笑いは訳のわからなさに対してが3割、共感が7割を占めていた。
宿に戻った後、フロントの人にロビーでPC作業をして良いか訊くと快諾してもらえた。2時間ほど作業する。ある作品の解説をせっせと書き進めるも終わりが見えない。書きたいことが多すぎて指定されていた文字数を大幅に超過する旨を作品の書き手に伝えると、そんなことはどうでもいいから早く書いてくれと怒られた。日に日にやつれていくその人にエールを送るつもりでキーボードを打ちまくり、作品を印刷した紙にがりがりメモを書き入れた。割と順調に進んだが、どうしても抜け出せない穴にはまってその日は終わりにした。
夜は近くのリゾートホテルの浴場に行った。電子チップの埋め込まれたリストバンドでロッカーを開閉する必要があったのだけれど、あろうことかそのリストバンドをロッカーの中に入れたまま扉を閉めてしまったことに、露天風呂を堪能後、脱衣所に戻ってから気づいた。すっぽんぽんでロビーに電話をかけ、スタッフの人が来てくれるまで柱の影に隠れて待つ。脱衣所には同じようにすっぽんぽんの人がたくさんいるのに、すっぽんぽんである理由が違うとこんなにも恥ずかしい。まだ服を着ていた頃(あの頃はよかった)に、ヘアブラシの置き場所を教えてあげたおばあさんたちとすれ違い、会釈をされる。おばあさんたちは館内着を身に纏っていて羨ましかった。どこでこの差がついたのか。鍵を持ってきてくれたスタッフの人に、すみません、すみません、と頭を下げた。全裸謝罪。この先、すっぽんぽんで人に頭を下げることなんてもうないだろうなと思った。あったら困る。
旅っぽい食事をとっていなかったので、せめてもの気持ちで中華料理屋に行った。餃子もあんかけ焼きそばもおいしかったし、特にトマトの卵炒めがおいしかった。帰りは食後の腹ごなしも兼ねて夜の浜辺を歩いた。月の光が海面に線を引いていた。斜めに揺らめくその線は海の立て髪のように見えた。カップルだろうか、二人組が波打ち際ではしゃいでいて、暗いせいで2人が海にざふざぶ入っていくように見えてハラハラした。昼間に行ったジョナサンは暗い海辺で唯一煌々と光っていて、あれが私たちが向かうべきゴールだと言われれば納得してしまうほど堂々とした光だった。

翌日、北に400kmほど移動した。はやぶさに乗っていると思うと嬉しかった。東北新幹線はやぶさの配色は、上部が常盤グリーン、下部が飛雲ホワイト、中央の帯がつつじピンクというらしい。北海道版の中央の帯は彩香パープルだそうで、わざわざ色を変えた点に、人がつくった乗り物であることが表れているように思う。
JRに乗り換え、1時間ほどで目的地に着いた。あたりはすでに真っ暗だったため、翌朝朝食を買いに行きつつ軽く散歩した。15年前を思った。15年もあれば赤んぼうが中学校を卒業する。長いともあっという間とも思える。どれだけの時間が流れたかを考えるよりも、その時間の中で起きた事柄を調べ、話を聞かねばと思った。
帰りのJRで、隣のボックス席に座っている人が辛そうな咳を繰り返していた。その人の向かいにいた人が、見かねたのかのど飴か何かを差し出したのだが、咳をする人は大丈夫です、と断っていた。向かいの人は、差し出したのど飴をバッグに戻そうとしたり自分のポケットに入れようとしたりした後、窓の外に目をやった。私も窓の外を見た。川を超えた。ずいぶん遠くまで見渡せることを、手放しに喜んではいけないと思った。

東京駅には人がたくさんいた。行き交う人々は行き交おうとはしていなくて、皆それぞれの目的地に、誰かのもとに向かっている。会いたい人に会うまでに会いたいとも思わない何人もの人とすれ違い、ぶつかりそうになったり舌打ちをされたり目を引かれたりしながらどこかを目指している。今から500km移動する人もいるだろう。大きな荷物を持った人とすれ違うとき、その人から潮の匂いがした。懐かしかった。故郷の匂いなのか、この1ヶ月に訪れたどこかで嗅いだ匂いなのかわからなかった。