手をあげて走る

たまに更新される日記です

時とは、自分自身であるから

2020.05.05

ウイスキーを注いだ後の、丸氷の表面がチカチカと虹色に光っていて嬉しくなった22:56。

自粛を長い間強いられていることで、気分が落ちてしまっている人が多いらしい。間違いなく私もその一人なのだが、なんというか、普段見ないようにしていた部分が露呈しただけな気がしてしまう。自分がこれからどう生きていくのか、どこで生きていくのか、好きなものはなんなのか、誰を大切にしたいのか、そういった生き方みたいなものになるべく触れずに生きてきたから、家に閉じこもって自分と対峙しなさいと言われてしまうと、ぐぐぐ·····と後退りする。

現実逃避のため故なのか、アニメ三昧な毎日を送っている。オススメしてもらった作品はすぐに観終えて、浸る間もなく次の作品に手を伸ばしている。

5月に入って、『Dr.STONE』『つり球』を観た。対極に位置するような二作品を1週間のうちに観たという経験が、結構、心の外枠を固めてくれる。『Dr.STONE』を観ていて、化学の力や歴史の重さを思い知ると同時に、コツコツ続けることを厭わない人々の強さに感心した。何があっても、コツコツ続けることが何よりも大切なのだ。私も自分が突き詰めたいものを、ちゃんとコツコツ続けられるようになりたい。

つり球』は、フジファブリックが主題歌を歌っているから一瞬で気に入った。我ながら安直だ。ハルが、自分の思いを口にできずゴボゴボと水に溺れていく描写に、とても共感した。私は口がペラペラと動くが、本当に思っていることはなかなか言えなくて、帰り道に一人反省会をすることが少なくない。言いたいことを言えないとき、水の中にいるように苦しくなる。自分の意志とは違うところにスイッチがあるような、そんな感覚。ユキの「わかんないけど、わかりたい」という台詞が心に残った。他人を理解できないなんて、宇宙人に限った話ではない。分からないことを分かるようになるより、分からないことを分かろうと思えることが必要だと、私も思う。結果、分からなくてもどうでもいいと思う。その頃にはよく分からないけど仲良くなれていればいい。ハルとユキのように。

アニメ以外では、ミワさんの『日々はすべて穏やかな一日に』を読んだ。ミワさんの日記を読んでいると、自分の存在を強く感じることが多々ある。 共感するから、というのもあるが、自分は今、これを読んでいて、だから、今、ここにいるんだ、という感覚。なぜでしょう。私も理由は分かりません。分かりたいけど。

中学の卒業文集に載っていた当日の文章、というなかのある部分がめちゃくちゃ素敵だったので、ここに残しておく。

「中学校生活を語ってしまった。つまり、先生の例をとってみればこれは青春ではないのだ。僕の青春はまだ遠くにあるのだ。 いつ訪れるか分からない青春のことを考えるのは無意味なのかもしれない。しかし、待つということはとてもわくわくすることなのだ。この、待ち遠しい気持ちの先に僕の求めている青春はあるのだろうか。それは誰かではなく自分で決めることなのだ。」

 

私は、今何を待っているだろうか。社会人になることは不安ばかりだけど、私は、今の私を笑って湯船に浸かる夜を待ちたい。悩み続けた幼い自分を、笑ってあげられる素敵な女性と対峙したい。そんな人に会えるだろうか。それは誰かではなく自分で決めることなのだ。

なぜなら、時とは、自分自身であるからなのかもしれない。

 

 

氷が溶けてきたこのくらいのウイスキーがいちばん美味しい。