手をあげて走る

たまに更新される日記です

6:28にアラームをセットすることはもうないかもしれない

2020.02.17~02.18

大学の友達らと、女だけの温泉旅行へ。場所は熱海。無難すぎるけど、私たちにとってはそれくらいがちょうどいいのだ。部室に集まって、小さな四人がけテーブルを囲んで皆んなでいつまでもくだらない話をした日々がある。ベランダにつながるドアガラスの向こうでも、向かいの小学校を見つめながらクサい話をする部員の姿がちらほらあって、部室の壁に掛けられた止まってる時計はなかなか取り替えられることがなかった。そういう小さい楽しみをずっと続けてきたのだ。小さい楽しみに、熱海なんてぴったりじゃないか。背伸びしないまま息をしていい場所が好きだ。友達と平日の熱海に降り立つことなんてそう簡単にはできない。というのはこれからの話。私たちは、大学生ではなくなるから。大学生活を「人生のバカンス」だなんて年長者に言われてしまうようなこの国で、私たち三人はその生活を全うした。全うした総集編の舞台は、熱海だ。海外旅行へ飛び立つ他の学生のSNS投稿を横目に、熱海へ向かったのだ。捻くれてるからというわけじゃないけど、海外に行くよりもしかしたら今回の旅行は楽しかったかもしれない。熱海だから楽しかったのかもしれない。

 

熱海駅に向かおうとした朝、「荷物を電車に忘れたから少し遅れる」という連絡が。それならもう少し時間を潰してから向かおうかと思ったけど、楽しみすぎて電車に飛び乗った。車内の空気はだんだんとゆったりしていき、大きな荷物を抱えるおじいちゃんおばあちゃんが増えていく。平日の熱海行きJRさんは時間を思い出にしてくれた。熱海駅に着き、写ルンですを買いに少し街を散策しようと思い立つが、駅から続く商店街は他の二人と歩みたいという気持ちが芽生えUターンする。駅前の足湯に浸かってラジオを聴く。ナポリの男たちは最高だ。カップルだらけのなか、一人で足湯に浸かっていたってこんなに笑えるのだ。足湯に浸かってるのに寒くて震え始めた頃、二人が後ろから飛びついてくる。久しぶりに会った二人は満面の笑みで、愛おしくて思わず大きな声が出る。「ああ!もう頭の中でひとりごと言わなくていいんだ!」私の言葉に二人はまた笑う。「当たり前でしょ」「遅れてごめんチーズケーキ買ってきた」チーズケーキの紙袋を渡される。出だしから無茶苦茶だ。ちなみにこのチーズケーキ、みんなの分があると思いきや1つしか入っていなくて、「私の分だけじゃなくてみんなの分も買えばよかったのに」と言うと「もう食べた」と。そうか、もう食べたのか。ケラケラと笑う彼女を見て、こういうところが好きなんだと思った。

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ホテルは海の真正面で、きゃあきゃあいいながら砂浜に向かう。話したことは全く覚えていないのだが、息ができなくなるほどたくさん笑った。私は大きな声で笑うことだってできたのだ。笑いながら息が苦しくなって空を仰ぐと、真っ青な中を泳ぐトンビが見えた。「こんなに笑ったの久しぶり」ひいひいと息をしながら叫んだ彼女の後ろ姿がすごく綺麗だった。4年間で、女の子から、綺麗でよく笑う女の人になっていたことに気づいた。

 

ホテルに戻って一息ついた後、夜ご飯を食べにまた外に出る。あっというまに日は落ちていて、真っ暗のなか波の音が少し聞こえた。牡蠣を食べたすぎて、LINEのひとことを「牡蠣センター」にしていた友達のため、牡蠣が美味しいと評判のイタリアンへ。牡蠣や蟹、パスタをワインと一緒にぺろりとたいらげる。何話したっけ。ただただ笑っていたことは覚えてる。牡蠣を食べて、美味しいと悶える友達を、向かいに座った友達が満足そうな笑顔で見つめてる。最高だと思った。

 

ホテルに戻って、温泉を堪能した。それにしても部屋が良い。大きな窓が額縁のように海を切り取っていて、いつまでも夜の海を見つめていられる。「6時28分だって」日の出の時間を調べた友達が、アラームをセットしている。一応2つはかけておいたほうがいい、と私も同じ時間にアラームをセットする。「起きれるかな」

「起きて日の出見たらまた寝よう、それで次に起きたら温泉行こう」こんなに満たされた気持ちで眠りにつくことがあるだろうか。電気を消した途端に意識が遠のいていった。

 

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身体を起こしたら、愛すべき二人が寄り添って窓際のソファーから窓の向こうを見ていた。何が起こったのか一瞬わからなかった。現実でも夢でもない場所にいるような気がした。窓の向こうに視線をやると、オレンジ色の線が真っ直ぐ走っている。時計を確認すると6:00。日の出まであと30分弱ある。

真っ暗な世界を切り裂くように伸びたオレンジの線の近くが、だんだんと白くぼやけていく。「眠いね」「でももう目が覚めた」なんでもない会話をだらだらと続けながら、私たちは3人寄り添ってソファーから窓の外を見つめ続けた。だれかが話したり、だれも話さなかったり。

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6:15分ごろになると、波の動きもはっきりわかるまで明るくなってきて、私たちはすこし不安になる。「このまま明るくなっちゃうかな」そんなわけはないのに。太陽は必ず昇るのだ。私は、もう夜が明けてしまうということに少しセンチメンタルな気持ちになっていた。太陽が昇りきって、また沈み始めたら、沈んだら、この旅行もお終い。あれほど楽しみにしていたのに、嫌でも昼と夜がやってきては去っていくのだ。

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光る雲が見えたと思ったら、のっそりと太陽が頭をのぞかせた。太陽が太陽の姿で現れるより前に、光る雲が現れるということ、私たちは知らなかった。下から照らされた雲は黄金色に光っていて、それはそれは綺麗だった。

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それからは、あっというまだった。太陽はうーーーーんと声を出すように水平線から上へ上へと姿を現した。日が昇る、という表現は言い得て妙だなと思った。昇る、という表現は、主語を他のものに置き換えるとなんだかしっくりこない。同じように、日は、昇るという述語以外ではうまく言い表せない。足りないのだ。それ以外の言葉では。たしかに昇って行った日は、だれの力も借りていなかった。そんなことを考えてる自分がクサすぎる、と我に返って二人を見ると、「やったやった」と喜んでいる。日が昇るだけで、人は喜べる。嬉しいのだ。

 

ロープウェイに乗って散策し、駅周辺も周って、疲れたところでCafe Agirに向かった。

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ホットケーキは歯が喜ぶようなほどよい食感で、自然な甘みが後を引く。「おいしいね、ひと口食べてみてよ」「ちょっと待って、こっちも食べてよ」。「食べてみる?」ではなく、食べてみてと手にフォークを握らせる。強引ではない押し付けは、なかなか簡単にはできない。押し付けるという言葉だって、悲しい意味を持つだけではない。悲しいとされる言葉の、そういう面を掬い取って生きていきたいと思った。

 

日が暮れる。「日が昇って沈んで忙しいなあ」「そうだねえ」それは違うと絶対に言ってくれるけど、違くないときは包み込んでくれる彼女のことを尊敬している。「かわいそうな人間に負けちゃだめだよ」最近の人間関係について漏らした私に、彼女は少し笑いながらそう言った。まじめなことをふつうに言えるのは、本当にそう思っていないとできないことだと思う。私と隣に座る友達は深く頷いたりした。

 

帰りの電車に乗る前に、振り返って二人が抱きしめてくれた。抱きしめられると、顔を見られなくて済むからいやだ。気が緩むのだ。泣いた私の肩を叩いて笑う友達と、もらい泣きする友達の顔を目に焼き付ける。東京行きのホームに向かう。電車が来るまで15分ほど待つはずだったのに、2人のことを想っていたらいつのまにか到着した電車のドアが開いていて慌てる。

疲れていたのかうとうとしてしまっていたら、ふと大きな音でアラーム音が鳴り響き飛び上がる。自分の携帯から音が鳴っているのかと思い、確認しようと取り出したタイミングで、斜め前に座っていた人がすみません、と周りに謝っていた。びっくりしたー自分かと思った、と胸を撫で下ろして携帯に目をやると、アラーム一覧の7:30の上に、6:28が挟まっているのが見えた。後に続く8:00や9:30とは違う28という半端な数字。それを見たら、涙が出てきた。俯いたまま、マスクを下瞼まで上げて、周りに泣いているのを気づかれないようにする。人が多くて良かった。みんな自分の携帯画面を覗き込むので精一杯だ。日の出を見守ることを厭わない友人がいること。それは、ものすごく貴重なことだと思った。私の大学生活は捨てたもんじゃないと思った。全然バカンスじゃなかったし、辛いことや苦しいことがたくさんあった。いつも悩んでいた。不安定だった。私はここからどこに向かうのか分からなかった。でも、捨てたもんじゃないと思った。

 

もしかしたら、もう6:28のアラームをオンにすることはないかもしれない。それでも私は、決して削除せずに残しておこうと思った。数字に思い出を重ねられることは、きっと心強い力になる。