手をあげて走る

たまに更新される日記です

ごちそう様でしたと言って笑った

2020.02.09

今日から日記をつけようと思う。ある日記を読んで羨ましくなったから。単純な理由で自分でも笑ってしまう。私の日々は特に大したことはないけれど、頭の中のできごとだってその日のできごとだと思ったら、そんな日々を書き連ねてみても良い気がした。意外と人は考えている。言わないだけで。

 

 「英会話の本はどこかにありますか?」とおじいさんに聞かれた。今まで何度も本の場所を聞かれたが、ろくに案内できずおたおたとして、だんだんと尋ねた人の顔が訝しげになっていくところを他のスタッフさんに助けてもらってばかりだったので、私は嬉々として胸を張ってその方を案内した。「ここです」急に威勢良く声を出して立ち止まったので、おじいさんは驚いたような顔をして「ご、ごちそう様でした」と言った。何か言わないと、と焦ってしまったのだろう。だからといってごちそう様が飛び出したのには場にふさわしくなさすぎる。「すみません」と言い合いながらお互いに少し笑った。なんだかいい時間だった。これだから間違いだって悪いものじゃないと思う。ツーカーになりがちなやりとりをぶち破ったとき、悪ではない笑いが起きることがある。大多数の人が、お笑いにそれを求めるのに、日常で起こると眉をしかめるのには納得がいかない。

それにしても足が疲れた。疲れすぎて走りたくなった。人と話すと疲れる。なぜか足が特に疲れる。

はじめての日記は書きすぎて疲れそうなのでこのへんでやめておこうと思う。

 

今日は文鳥文庫さんより、三島由紀夫『雨のなかの噴水』を読んだ。今日は雨ではなかったけど、出だしから雨の日特有の青とグレーの混ざった重苦しい空気を感じてわくわくした。話自体が大冒険や青春一直線でなくても、例え登場人物が悲しんだり怒り狂ったとしても、わくわくしながら読み進められる純文学が本当に愛おしい。たぶん私がにんげんだからだと思う。『雨の日も噴水は出ているかな』この台詞のために話があるかのような一場面だった。女と男であり、少年と少女であること、その二つがどちらも活きていて良かった。本を読むと電車を乗り過ごすからいやだ。いやだいやだとうなだれて主人公である明男に想いを馳せる。