手をあげて走る

たまに更新される日記です

大大大大大大大大大大大好きさ。ありがとうございます。

暗闇の中で「目に塩が〜」がでっかい音で聞こえてきた瞬間、どばばべべべと涙が出てきてハンカチーフを探した。

 

就活がうまくいかず、嫌な想像ばかり膨らんで眠れない中チャンネル放送を再生したあの夜を思い出す。靴擦れした足の小指をもう片方の足の指で撫でながら、shu3のゲラに引っ張られて一人くすくす笑ったあの夜。小さいときの悲しい記憶を思い出して眠れない中再生した夜も思い出す。幼い頃の自分を守れなかったことが悔しくて泣きながらも、すぎるの音割れで大笑いしたあの夜。そのまま寝落ちして、朝になれば何事もなかったようにまた生きた。

 

私はこのジングルから始まるナポリの男たちの放送にいったい何度力を貸してもらってきたんだろう、そしてナポリの男たちはここにいる何人の人たちの夜を救ってきたのだろう、と思ったら泣けてきたのだ。たくさんの、本当にたくさんの私たちの小さな夜を救ってきたであろう4人は、毎週、知恵を絞り、会議を重ね、時に体を張り、時に蹴落とし合い、放送を続けてきた。視聴者を楽しませるために、だ。

 

『舞台 ナポリの男たち』も同じだった。

『舞台 ナポリの男たち』は、“視聴者”を楽しませることに本気だった。

『舞台 ナポリの男たち』が、“視聴者”を楽しませることに本気なのが嬉しかった。

 

ナポリの男たちの世界をただ3次元にすること」でも「ナポリの男たちの代わりに舞台に立つことだけ」でもなく、「何をやったら“視聴者”は楽しいと思うか」だけを考えていてくれた。批判を防ぐために、「なんか違う」と言われないために、チャンネル放送にまるまる沿ってつくることだってできたはずだ。ナポリの男たちの声に合わせて、役者さんが身体だけ動かす演出にしたって一つの舞台になったかもしれない。でもそれをしないでくれた。「ナポリの男たちは面白い」を知っている“視聴者”に、もっと「面白い」を届けることに重視してくれた。そのために、こんなに創ってくれて、こんなに準備をしてくれて、こんなに影から支えてくれて、こんなに汗をかいてくれて、こんなに考えてくれた。

 

「いいもの」をつくろうとするとき、張り切ってつくろうとするが故に、「いい」に焦点を当てすぎて独りよがりになってしまうこともある。「理解できない奴はついてこなくていい」と届ける相手を切り捨ててしまうとか。逆に、「いいものをつくる」を達成することだけに注力してしまうが故に、完成させたはいいけど「いい」が迷子になってしまうこともある。そのどちらでもなかったのもまた、「いいもの」の定義が、「“視聴者”を楽しませる」という点にあったからではないかと思う。

 

だから、寂しくならずに観ることができた。放送時は気づかなかったことに気づいた。まだ観続けていたいと思った。

 

ここからは、私が個人的に印象に残っている点について述べていきたい。

 

ナポリの男たちパペットを登場させた点

もし、普段の放送のように画面に1枚スライドを出して、スピーカーからナポ男たちの声が聞こえてくるだけ、という方法をとっていたらどうだっただろう。「今ここに自分たちはいるのに、ナポリの男たちは舞台にはいない」という既成事実に改めて対面し、"視聴者"はすこし寂しさを感じてしまっていたかもしれない。パペットは、場所と時間のギャップを埋め、私たちの心を舞台に繋ぎ止める「繋ぎ手」という役割を担っていたと思う。これもまた、"視聴者"を楽しませる、ということに一貫していたと感じた所以の一つである。

 

●『雄すぎ』のねじねじ

放送時にはなかった前日譚が追加された『雄すぎ』。ねじねじは元々、蘭太郎がお母さんの誕生日に贈り、「丁寧に畳んでしまわれていた」ものだった。それが物語の最後、すぐるがポケットから出した時はボロボロになっている。劇場で観た時は気がつかなかったが、ストリーミング配信で寄りで映し出されたねじねじを見て気がつくことができた。原作でも「すぐるは、ボロボロの布切れを握りしめていた」という表現はあるが、舞台で実際にボロボロになった状態を見たことによって、ここまで原作に忠実にしてくださったというのはもちろん、大切な人に贈ったスカーフは、丁寧に畳まれたままではなく、大切な生き物にボロボロになるまで使ってもらえたんだ、ということを知って胸が熱くなった。

 

●『どす恋!』の3人の台詞

「女の子だからって土俵にも上がれないなんて、絶対に間違ってる!」

「だから私はあの学校の風紀を乱すことは、絶対に許さないわ」

「ところで相撲って、おいしいのかなあ?」

それぞれ原作にもあった台詞だが、舞台を通して、役者さんたちを通して聞くと、この台詞がどれも前向きだということに気づいた。特に「おいしいのかなあ?」なんて、ワクワクしているからこその言葉なのである。単純においしいかどうか気になるというのもあるだろうが、「おいしいのかも=たのしいのかも」と思ったからこその台詞だ。どす恋を観るとなぜかげんきになるなあ、と思っていたが、その靄が晴れた。みんな前向きなのだ。すごい作品だ。

 

●『スナックしゆみ』の花

言わずもがなしゆみさんがすごかった。あ、しゆみさんってただのえっちなお姉さんじゃないんだ、と登場シーンのしゆみさんの眼を見て感じた。分かってるんだ、この人は。全部分かってるからの、えっちさなんだ、と。

 

しゆみさんについてはたくさんの人が触れているのでこのくらいにしておき、今回印象に残った「花」について述べたい。元気なくて枯れそうな花を、「捨てちゃだめ!」と叫んだのぶ子が頭から離れない。美しい花が揃う夜の世界で、枯れそうな花だった自分と重ねただろうその切実な声。池ちゃんの、「花っているかーって、俺っているかーって」という台詞。これらを踏まえての、

 

「必要ないものが、実はすごく大事かもしれなくて」

 

がとても印象に残った。

ゲーム実況とか、YouTubeとか。言ってしまえばそれらがなくても生きていけるのだけど、でも実は、すごく大事なのだ。朝電車に乗りたくなくても、イヤホンを装着して再生ボタンを押せば笑えるし、残業した帰り道も嫌なことを忘れられる。花とそれらは似ている。枯れてしまっても、誰かを笑顔にすることだってある。そう思った。

 

●『ナポンヌのムスカリ』の「お前も、結局はこうして人を斬る…。」という台詞

 

「お前も、結局はこうして人を斬る…。フランス王と同じく、流血の道しか選べぬ悪魔ということか!お前との友情も、ここで終わりだ!」

 

原作では「黙れ!やはりお前も、憎きフランス王と同じ流血の道しか選べる野蛮な男だったというわけか」という台詞だったが、この台詞を放ったハーチェスがどのような思いだったのかを勘違いしていたことに気づいた。ハーチェスは逆上していたのではなく、悲しんでいたのだ。でもその悲しみのやり場はなく、結末も最悪な選択肢しかないなか、覚悟を決めた上での台詞だったのだろう。覚悟は決めたけど、友であるスグールに、そのやり場のない気持ちをぶつけてしまったのだ。二人の関係性が最も表れたシーンは、もしかしたらこの時だったのかもしれない。

 

●涙 塩分 マルゲリータ

いつも放送を観てる時は、「あーもう今週の放送も終わりかー」という気持ちになるあの曲を、大勢の役者さんが声を合わせて歌ってくれている姿に、冒頭の「目に塩が」と同じくらい心に迫るものがあった。

 

「大大大大大大大大大大大好きさ」

 

いい歌詞だ、と改めて思った。

 

「大大大大大大大大大大大好きさ」

 

もう一度書きたくなるくらいいい歌詞だ。

 

すぎるが個人生放送(2021.07.20)で「観るたびに発見がある」と言っていたように、ストリーミングで見返すたび、わちゃわちゃする中でもそれぞれの役者さんの動きや表情に発見があって楽しい。何度もリピートしてしまう。

 

 

なぜこんなにも、「視聴者を楽しませる」ことに一貫した舞台だったのだろうか。「やっぱり、みんなナポ男が好きなんだよね」と言ってしまえばそこまでだ。それはもちろんだけど、もっと別の大きな理由もあると思う。集まった方々が、そういう人たちだったのだと。

『舞台 ナポリの男たち』をつくることに携わってくださった方々が、“視聴者”に想いを馳せ、楽しませようとしてくださる人たちだったのだ。そして、そういう方々を引き寄せたのが、ナポリの男たちなのである。彼らがいつも視聴者に面白いものを届けようとしてくれているからである。

 

“視聴者”を見くびらないでつくってくれて、本当にありがとうございます。

面白かった。嬉しかった。

 

恐悦至極にございます。

 

 

 

千秋楽の日、夕日が綺麗で見惚れた。

思い出すこととわらうほし

2020.03.31

 

今日で大学生活が終わる。明日からは社会人だ。

それがなんだっていうのだ。

 

2019年の11月中旬、鹿児島の知覧の海を毎日見て過ごした。祖父母の家に2週間ほど滞在させてもらっている間、毎日海に行った。

夕方の海は、夕日がぼやけているからか夢のなかのようで、そしてあっというまに暗くなった。日が落ちると、そういえばこれは現実だった、と急に少し怖くなった。2週間毎日海を見続けて気づいたのは、「どんな人でも、この海に放り投げられたら死ぬ」ということだった。真理だ。だけど当たり前のことだ。私は、そのことに気づいたとき、ああそうだ、だからもうよいではないかと思った。だんだん大人になることも、いつか老いることも、子どもでいられないことも、責任を追うことも、十字架を背負うことも、それはそれで、もうよいではないかと思った。それは「良い」ではなく、「そのままであれ」という意味だった。心が機能しなくなった私であろうが、大人になった私であろうが、老いた私であろうが、やる気に満ち溢れている私であろうが、幸せだと謳うことができるようになった私であろうが、あの海のど真ん中にぽちゃんと落とされたら、死ぬのだ。だからもうよいではないか。細かいことは。

祖父は時々、海にいる私の様子を見に来た。

「どうしても、お前は一人にさせると心配だから」

煙草を吸って堤防に寄りかかる祖父にそう言われたとき、私はなんて返したのだろう。

まだ子どもだしいいじゃん、と反発したかもしれない。

大学生は子どもじゃないよ。

人は、子どもの頃から子どもじゃないし、大人になっても子どもなんだよ。

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学生時代はいろんなことがあったけれど、まだよく思い出せない。

いつもそうだ。思い出そうとすると、靄がかかったように記憶が曖昧になってしまう。なぜ思い出せないのかを考えると苦しくなる。大学二年生くらいまでは、そのことがとても悲しかった。高校の同級生と会って「体育の教師が〇〇って言ったときにさあ、」と話が始まっても、なんのことやら全く思い出せない。高校時代、私は適当に毎日を過ごしていたのかな、と不安になった。

大学生活を終える今日になっても、大学生の自分のことをあまり思い出せない。

思い出せないが、写真のようにある瞬間が急に頭に浮かぶときがある。思い出そうとしてもうまく思い出せないのに、ふとしたときにぱっと浮かぶそれらが、とても愛おしくてたまらないときがある。思い出そうとしてもうまく思い出せないのに、ふとしたときにぱっと浮かぶそれらが、とても苦しくてたまらないときがある。

このブログを見返したときのために書き残しておきたいのは、

思い出すという行為も、思い出さないという行為も、

過去がなければできないことだから、どうか生き続けてくれということだ。過去を更新してくれ。思い出せない過去がたくさん溜まったら、「思い出せない」ということがどこかで糧になるかもしれない。

今の私が言えることは、それしかない。

だけどさあ、そう言えるようになったのは、大学生活があったからなんだと思うよ。

思い出せなくてもどかしいかもしれないけれど、思い出せないその記憶は、確かに私が辿ってきたものなんだよ。

 

明日からは社会人だ。

学生最後の日にブログを書くつもりなんてなかったのだが、部屋の本棚を整理していたら出てきた一冊の本を読んで、やっぱり書こうと思った。

荒井良二『わらうほし』という絵本だ。

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「わらうほしのわらうやまです。あさがきただけでわらうやまです。」から始まるこの絵本は、ねこがなくだけでわらうぼく、ふるだけでわらうあめなど、小さなことに微笑むことができる登場人物たちを追っていく構成になっている。

表紙を開くと、見返しの裏に「〇〇さんの(〇〇は私の名前)」という文字と、絵本のなかには出てこないわらうほしの絵が描いてある。

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休学して東京に出てきて間もない頃に初めて行った下北沢のB&Bのイベントで、荒井良二さんに描いていただいたものだ。

学生最後に手に取ったその本に描かれていたものを見て、鹿児島で海を見ていたときのように、「ああそうだ、だからもうよいではないか」と思った。ものすごく緊張していた私の顔を、じっと見た後に荒井さんが描いてくださったこのイラストでは、わたしのほしはとても嬉しそうに、少し恥ずかしそうにわらっていた。

今の私のままでいいと思った。小さなことで微笑むことができる人であろうと思った。

おじいちゃん、私は一人でも大丈夫だよ。一人でもなんとかやっていけるよ。

思い出せなくても、支えがこんなにもある。わたしのほしはわらっている。

 

明日から社会人になる。

それがなんだっていうのだ。

 

 

ムクドリとシャチ

2020.02.27~03.07

 

ご飯を食べているとき、姉が急に「ムクドリとシャチ」について訥々と話しだした。姉は昔から動物が好きで、動物の生態についてたまに教えてくれることがあった。姉の話によれば、つがいをつくることができなかったムクドリの成鳥は他のつがいの子育てを手伝うそうだ。次の繁殖期になるまで、ヘルパーとして雛に餌を与えたり諸々の手伝いをして過ごす。ムクドリの他にも、そのような習性を持つ生き物がいるらしい。またシャチは、「おばあちゃんシャチ」の存在が群れの中でとても重要なのだそうだ。『風の谷のナウシカ』の大ババ様のようなものだ。豊富な知恵と知識を持ち、生き抜くための大切なことを教えてくれる。おばあちゃんシャチが亡くなると、幼いシャチの死亡率も急激に上がってしまうらしい。

「思いやりが大切です、ってよくいうでしょ。あれは、道徳とか礼儀とかじゃなくて、生き抜くための知恵として自然界にずっとあったものだと思うんだよね。自分たちの種を残していくために、必要だから継承されてきたものなんだと思う、うまく言えないけど」

そんなようなことを姉は目を合わさずに言った。私は、姉がその話を「いい話」をしたくて伝えたものではないことは分かった。「だから人にやさしくしなさいね」と言いたかったのでないと思う。だとしたら、姉は何を伝えたかったのだろう。

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(写真は先月末の月。だれかこっち見てると思ったら月だった。)

 

最近、ある大人のメールの言葉にものすごく傷ついてしまった。私がネガティブだからだろうかと思い、姉にそのメールを見せると、ものすごく怒っていた。姉は昔から怒りのパワーが大きい。台風のように怒る。それがたまにキズだが、私はすごく気が楽になった。楽になったと同時に、ますます悲しくなった。どう見たってこのメールの文章は私を傷つけようとしてつくられたものだ。どうして、そんなことができるのだろう。

寝ようとしても寝れず、涙が落ちてばかみたいだと思った。たった一言に傷ついて、眠れなくて、枕を濡らしている。ばかみたいだ。大人なのに。耳に涙が入って、「かゆっ」ってなったことがある人はね、布団の中で泣いたことがある人なんだよ。

 

ぼーっとしながら電車に揺られていると、急にある言葉を思い出した。

後悔なんてしないっっ しちゃダメだっ

だって 私がした事は ぜったい まちがってなんか ない!!

3月のライオン』で、クラス内のいじめをなんとかしようと足掻いたひなちゃん自身がいじめのターゲットとなってしまったとき、泣きながら叫んだセリフだ。本当に、なんのきっかけもなく思い出した。どうしてそんな言い方するんだろう、私のなにが悪かったんだろう、と自分から自分への問いで追い込まれていた私の頭に、風を通してくれた。

 

あのメールの文章にどんな背景があったであろうと、私は間違ったことはしていない。それならもうそれでよいではないか。

 

ある知り合いの方から、

「読んだり観たりしたものが、この先辛いことがあったときにどこかで支えになってくれると思います。」

と言っていただいたことも思い出した。

私は今まで、中高生のときに読んだり観たりしたものに助けられたことは度々あった。けれど、4年間もあった大学生の期間に読んだり観たりしたものに救われることはあまりなかった。だからとても嬉しかった。大学2年生のときに読んだ『3月のライオン』に風穴を開けてもらったこと。とても嬉しかった。

 

その日から、最寄りのTSUTAYAに通うようになった。漫画を借りるためだ。一番の目的は『3月のライオン』を借りて読みなおすため。TSUTAYAのコミックコーナーは最高だ。なんなんだあの空間は。あの空間にいる人はなにも言わない。なにも言わないのに、同士よ、みたいな空気がある。最高だ。

 

今日にいたるまで、『3月のライオン』も『ハイキュー‼』も『違国日記』も『夢中さ、きみに。』も読んだ。

 

3月のライオン』では、

人生は計り知れない 『一寸先は闇』って言葉だけがメジャーだけど

その逆もまた十分起こりうるのだ

「3分先は光」みたいに

 という言葉に目が止まった。

 

『ハイキュー‼』は最終巻を読み終えた余韻にまだ浸っている。明日もう一度最終巻を読み直す。まだ言葉にできない。したくない。

 

『夢中さ、きみに。』は、前から名前だけ知っていた。[書く派]という話が個人的にはいちばん好きだ。ストーリーもそうだが、小松くんがこれまた良い。先輩の教室に入っていくときや絵を描くときは少し怖い顔をしているのに、林くんと話すときや絵を描き上げたときはものすごくいい表情をしている。

 

『違国日記』では、

「だからってこんなことで傷つく方がおかしくない?」

「わ、わたしが何に傷つくかはわたしが決めることだ。あなたが断ずることじゃない!」

 というシーンが印象に残った。

その通りだが、その通りだから難しい。人はちがうのだもの。ちがうのだ。分かっている。分かっているが暴れたくなる。どうしてこんなにもちがうのだ。分かっている。ちがうから楽しいこともわかっている。でも、どうしてこんなにもちがうのだ。これじゃあひとりぼっちだ。人はみな一人だ。

 

姉の「ムクドリとシャチ」の話も、メールの文章も、『3月のライオン』も、『違国日記』も、なんだか根本は同じことを指しているような気がする。この一週間で私が触れてきたものは、なんだか共通しているような気がする。それを「やさしさ」とか「愛」とかで表現したくない。最近はうんざりなのだ。「やさしさ」も「愛」も。大切なことだけど。やさしいことは何も悪くない。やさしい人は好きだ。でも、やさしいことがすべてではないはずだ。そんなこと言って、やさしくないことで傷つくこともある。わがままなのだろうか、ひねくれているのだろうか。表面だけを掬ったようなやさしさが、なにになるのだろうか。そういう安価なやさしさに包まれて、人は弱くなるのだろうか。わからない。私はやさしくないからわからない。でも、もし生涯独り身だったら、姉弟の子育てを手伝ったり、歳を取ってから「変なおばあちゃん」として変だけど面白い教訓を伝えたりしたい。ムクドリとシャチになりたい。私もやさしくなりたいんだろうか。自分をやさしいと思ってしまうと、傷つけたときに傷つけられたと錯覚してしまう気がする。そんなことを思うのは間違っているのだろうか。

 

もう一時になるから寝なければ。

 

昨日、ある人から「いつかお伝えしたいと思っていたんですけど、」という前置きのもと、とても嬉しい話を聞いた。「いつか伝えたいと思っていること」を、伝えることができる人は少ないと思う。すごいな、私もそうなりたいなと思った。

 

もしかしたら、

私もそうなりたいな、と思うことが、「やさしさ」や「愛」のはじまりなのかもしれない。

 

そんなの分からないけど、人はひとりぼっちだからそれを考えないといけない。それだけは分かる。

 

 

 

 

「それだけ」のことたち

2021.02.18~21

明日、朝マックに行こう、朝マックのホットケーキを食べようと思いながら寝た。私は朝マックのホットケーキが大好きだ。あのメープルシロップと三枚重ねのホットケーキを想像していたらすぐ眠りに落ちた。起きて朝マックに行く準備をしていると、急ぎの仕事が入った。仕事が終わって時計を見たら10時15分だった。朝マックは10時30分までである。そういうものだ。うきうきした気持ちをそのまま持ち続けることは簡単ではない。気持ちなんて気分屋だから、急にしおれてしまうこともあるし、何かしらによって気持ちを無理やり取り上げられてしまうこともある。わかっている。

けど今日の私は一味ちがうぜ!と運動靴を履いて走り出した。自宅から最寄りのマックまでは、歩いて20分ほど。私は走ると決めたのだ。朝マックのホットケーキを食べたいからだ。10分ほど走り、しんどくなり始めたとき、後ろから「はしれ!はしれ!」と聞こえてきた。そして隣を自転車が通り過ぎた。子ども用シートに座った子どもが、めちゃくちゃ元気に歌っている。走れ、走れとそれだけの言葉を繰り返して歌っている。私に向けてなのか、息を荒げながらペダルを漕ぐ後ろの母親に向けてなのか。ランニング以外の目的で舗装された道を必死に走っているときに、「はしれ!」と言われることなんてあるのか。夢なのかなと思った。朝マックのホットケーキが食べた過ぎて、私は夢を見ているのかなと思った。マックに着くと、時計は10時32分を示していた。店の外で待っている柴犬が、ベンチの上に座ってこちらを見ていた。f:id:kitanoippiki:20210221011718j:image

 

照り焼きチキンバーガーのセットを頼んだが、走った直後なので食欲が失せてしまっていて、ものすごく時間をかけて食べた。コース料理くらい時間をかけた。

こんなもんだ。だいたいの事の結末はこんなもんだ。家に帰るとき、雲があまりにもくもくしていて驚いた。もくもくしてる雲久しぶりに見たなあと思い写真を撮った。f:id:kitanoippiki:20210221011824j:image家に着き、走った汗を流そうとシャワーを浴びた。電気をつけずとも明るい時間帯のお風呂場が好きだ。シャワーを止めて目を開けると、窓の向こうから照らす日の光のなかで湯気が揺れていて、とても綺麗だった。いい時間を過ごせて良かったと思った。こんなもんだ。だからやめられないのだ。なにとは言わないが。

 

最近は、映画『戦場のピアニスト(The Pianist)』とドラマ『最高の離婚』を観た。『戦場のピアニスト(The Pianist)』は、観ておかねばと思いながらもずっと観れずにいた作品のひとつだった。身を隠して生活するようになったシュピルマンが、隣の部屋から聞こえてくるピアノの音色に耳をすますシーンが一番良かった。そうだよな、と思った。だって彼はピアノが好きなんだ。ピアノが好きで、ピアノを弾いていて、それだけなのだ。「それだけ」のことがそこらじゅうにあって、それぞれの人がその「それだけ」を踏みつぶすことなく交わしていくのが、日常だと思う。しあわせな日常だと思う。戦争という題材で、絶望と希望を二項対立にして衝撃を生むのではなく、「そこでそれが起こっている」ということを淡々と描いているのが印象的な映画だった。つまり、今述べたことでいうならば、それもまた日常なのだ。恐ろしいことだ。

 

最高の離婚』もまた、おすすめしていただいて観たのだが、とても良かった。今観て良かったと思った。今というのは、コロナ禍というのもあるし、私が23歳だからというのもあるし、春になる前だというのもあるし、まだ見ぬ未来を迎える前という意味でもある。この作品を観た人たちは、一番好きなセリフや場面がそれぞれあるのだろうと思った。そしてそれは分散されていて、皆が皆惹きつけられた部分は違うだろう。そういう作品が好きだ。私が一番好きなのは、最終話、テーブルを囲んで二人が座っているとき、結夏がティッシュ箱に手を伸ばして、それを光生が取ってあげるシーンだ。記憶に残らなかった人もいたと思うし、そのシーンがなにかと言われたらうまく答えられないが、私はそのシーンがとても好きだと思った。人と人との関係を、言葉やふれあい以外で見た気がした。

 

最近は、そんな日常を過ごしている。嫌なこともあるし、楽しいこともある。発見もある。忘れることもある。

昨日の夜の話を最後にしておく。これは、いつか私が自分で自分のブログを見返したときに、読んで欲しいことだ。

たまに、思い出して眠れないときがある。思い出すその内容というのは、時によって異なる。小さいときのこと、中学生のときのこと、高校生のときのこと、大学生のときのこと。昨日は、大学生のときのことだった。

大学1年生の頃、小学校に行き、授業のスピードについていくのが難しい児童のそばについて勉強のサポートをする活動に参加していた。その活動は、10年以上続けられている活動で、いわゆる大学生のボランティア団体の活動というものの類だった。なぜ参加しようと思ったのかは覚えていない。

毎週月曜の好きな時間帯に決められた小学校の決められた教室に行き、学校側から指定された児童のそばについて授業を一緒に受ける。毎週月曜の2時間目、3時間目あたりに行くと、国語や算数の時間であることが多かった。

その子は、よくしゃべり、よく笑う子だった。1年生だった。国語の時間に皆で声を揃えて音読することになったとき、ふとその子の口元を見たら、適当に口を動かしているだけだった。声を出していなかった。でも、最初の2文くらいまでは大きな声で読んでいたはず。おそらく、最初の2文は何度も読んで暗記していたのだ。私は何も言えなかった。何も言えなかったけど、その子は楽しそうだった。皆と同じスピードって、結構大変だ。そういうの、なんてことないよと思った。だから私も楽しそうにした。授業が終わった後、音読の練習を二人でした。

あの後、活動をいつまで続けたのか覚えていない。最後に学校を訪問したのも覚えていないし、その子が二年生に上がるまで見届けた気がしない。適当だったのだろうか。私はあの時、あの子に向かって適当に笑ったのだろうか。

そういう記憶の掘り起こしは連鎖する。ずるずると記憶を思い起こして憂鬱な気持ちになっていると、気づけば時計は深夜2時半を指していた。私は眠りたいのに。こういう夜は長くなるぞ、と思いながらなんとなくTwitterを開いたら、岡野大嗣さんの短歌があった。

犬やなくてインターネットで買うときのポチやよ わかっとるよありがとう

大丈夫になる瞬間というのは、ある。それは客観的に自分を見ているから気づくのではなく、自分の思考が向きを変えるのがわかってしまうからだ。おばあちゃんとおじいちゃんがいた。向かいあってはいなくて、でも会話をしている。犬小屋が庭にある。昔そこには犬がいた。かわいい犬がいた。「うちのがいちばんお利口さんやわ、アホやけど」と矛盾したことを言う二人がいた。私の記憶ではない。けれど、私の記憶だ。私だけの記憶だ。想像ではないと思う。なぜなら過去にあったことを思い返しているからだ。けれど、本当に過去にあったできごと?と聞かれたら口ごもってしまう。どっちでもいい。ほんとうかうそかも分からない記憶が、私が眠るための思考の行方となってくれた。泣きそうになった。眠気のほうが強かったから泣かなかった。岡野さんの短歌に助けられるのは初めてではないけれど、眠れないピンチを助けられるのは初めてだった。私もそういう小説を書きたい。ハッピーエンドとかバッドエンドとか、読んでいてワクワクするかしないかとか、卑劣でないかどうかとか、そういうのはしらない。関係ないのだ。

その後すぐ寝た。すぐ寝られるのだ。「それだけ」のことだから。

 

最高の離婚の、一番好きなセリフはこれだ。

缶詰。缶詰が発明されたのは、1810年なんですってよ。で、缶切りが発明されたのが、1858年。おかしいでしょ?でも、そういうこともあるのよ。大事なものが、あとから遅れてくることもあるのよ。愛情だって、生活だって。

遅れてくればいい。私はあのとき、適当に笑ってなんかいないのだから。

吠えられるんなら、吠えてたと思う

2021.01.27~2021.02.05

 

いつのまにか、前回のブログからものすごく時間が空いてしまった。

 

1月も終わる。リーガルリリーのライブを聞きに行って1年も経ったのか。あの頃、私は大学生でもなくて、社会人でもなくて、バイトも見つかっていなかった。折れた心を取り戻すために鹿児島に行って、海を見続ける毎日から東京に帰ってきてすぐのいつかだったと思う。姉が誘ってくれたリーガルリリーのライブで、『1997』という新曲を彼女たちは奏でてくれた。

私は私の実験台 唯一愛した人

一番の歌詞では、「唯一許された人」と歌っていたのに、 二番では「唯一愛した人」とはっきり言った。そのときのこと、時間が止まっていたように思う。

なお、私は胃が弱いので、ライブ前に食べたハンバーガーによる胃への攻撃にやられ、ライブ中は始終胃の痛みと戦っていた。ステージの上の彼女たちとはちがう種類の汗をかきながら、血走った目でステージを見つめていた。極限状態だったからだろうか、とにかく、そのときは時間が止まっていたように思うのだ。

 

それから書店でのアルバイトが始まって、髪をものすごく短く切った。ジーン・セバーグみたいで綺麗ね、と笑ってくれたワンピースのお店のお姉さん、元気にしているだろうか。くしゃっとした顔で笑う人が好きだ。犬が首をかしげるのと同じくらい好きだ。

 

なぜ振り返る話ばかりかというと、大学卒業が近づいてきたからである。

3月16日。卒業まであと約一か月。少し長く大学生をさせてもらっていたからか、もう先延ばしにできないのか、という気持ちだ。感慨深く学生生活なんかを思い出して、コンビニに向かう夜道で少し泣きそうになる。セブンイレブンのオレンジと緑と赤の光のことを学生として見ることはなくなる。さみしいかと言われれば、日々は続いていくものなのでそんなにさみしくはない。私は、私の大学生活を、十分納得がいくものとして終えることができる。しあわせなことだと思う。人に迷惑もかけたし、傷つけることもあったと思う。だけど、私は私のまま、良いことをしたときも悪いことをしたときも、変わらずにここまでくることができた。それで十分だ。

 

また長くなる。大学の振り返りは、3月以降に改めてやろうと思う。

 

1月27日。できあがった卒論を抱えて、久しぶりに大学に行った。私は上京しているが通っている大学は地方にあるので、大学に行くのも一苦労だ。小さい旅行ともいえる。コロナ禍で移動は自粛しているが、これだけはやむなく県をまたいで移動した(誰も見ていないようなブログでも一応こんな断りを言わないとと思うのは変かもしれない)。

 

研究室に卒論を提出しに行く前に一件人と会う約束があったので、待ち合わせをした。自転車を悠々と漕いで現れた彼女は同じ大学の後輩で、初対面であった。会った瞬間、彼女は「会えて嬉しいです。これお花です」と言い、小さな花束を渡してくれた。ももいろのチューリップとスイートピー

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よく笑い、ポップカルチャーに対してものすごく大きな愛を持つ彼女は、最近はラジオ局でアルバイトを始めた、と照れたように話してくれた。そのときの彼女の笑顔に目を奪われた。人は、自分の好きなものと自分との距離感について人に開示するとき、こんなにも魅力的なんだ。そのときの彼女を思い出すと、やっぱり時間が止まっていた気がする。

彼女には、佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』を贈った。まだ読んだことはないと言ってページをパラパラとめくっていた。感想を聞くのがとても楽しみだ。

 

その後、研究室に行くも教授とは会えず、卒論だけ提出して大学を後にした。今度来るときは卒業式か。また感慨深くなりそうだから、すぐに帰った。構内を歩く大学生たちは、きらきらしていた。でも私は知っている。別にきらきらなんかしてない。苦しいししんどいことばかりだ。泣きたいけど泣けない夜のほうが多い。泣きたいのかもわからない時間のほうが多い。それが大学生だった。

 

教授と会えなかったのは、身内に不幸があったからとのことだと後日連絡がきた。

メールでやりとりをしながら、私はこの人と出会えていなかったらどうなっていたのかなあと思った。自分の正義をちゃんと抱きしめているほうが良い。素敵だと思うことは素敵だと言う。好きなものについては胸を張る。人生いきなり。いろんなことを教えてもらったが、先生はいつも適当で、よく笑う人だった。「100年生きるのよ。周りを見ていないで、自分の好きなことをちゃんと見つめなさい」。大学のそういうところが良かった。いいなあ、と思える人に出会えたこと。

「毎日泣いていて、こんな気分になったのは久しぶりで大変よ」という文章に続いて、

「たのしいことと同じくらいに人生ではかなしいことも訪れます。愛が深いほどかなしみも深いです」

とメールには書いてあった。愛する人といろんな理由で別れたり、恋人や家族でなくても、支えだった人や大切な人と別々の道をいくときが必ずくる。生と死という別々の道の場合もあるし、同じ生でも住む社会を分かつ場合もある。

そのときのかなしみは、胸を切り裂くようなかなしみは、愛が深かったから故のことなんだろうと思う。相手が同じようなかなしみを抱いているかは知らないが、相手に対する自分の愛がどれほど深いものだったのか、それを自分で体感できる唯一の方法になり得るのだと。だから、別れとは人生につきものなのだ。私は、いつか息ができなくなるほどかなしい思いをするかもしれない。だけどその一方で、時間が止まったかのように思えるほど美しくて大切な瞬間を経験したりもする。安直に言えば、それが生きるということなのだろうか。わからない。わからないけど、大学を卒業してまたちがうところで生きていく。一生わからないだろう。わかるために生きるのもちがうと思う。

こんなふうに、ぐるぐる考えはじめると止まらなくなるのが最近ずっと続いていていやになる。人間にも吠える習慣があればよかったのに、吠えられるんなら、こういうとき吠えてたと思う、どっかの空に向かって。

 

そういえば、ジャック・ロンドンの小説を初めて読んだのだが、そのなかにあった文章が記憶に残っている。

『マーティン・イーデン』という、ジャック・ロンドンの自伝的小説と言われている本だ。

「これが、人生というものです」と彼は言った。「人生というものは、いつも美しいものとは限りません。けれども、たぶん僕が変わっているからでしょうか。僕には人生になにか美しいものが見出せるのです。人生にあるからこそ、美は10倍もその美しさを増すものであるというふうに、僕には思えるのです」

 

チューリップは、今日も茎の方向を変えていく。スイートピーは、じっと睫毛を伏せているかのようだ。

 

 

 

またすぐ来てくださいね

2020.11.19~11.25

 

「またすぐ来てくださいね」

 

という言葉が、嘘じゃなかった。

 

それが、ものすごく久しぶりなことだと気付いた。

ふと、去年の冬、鹿児島の祖父母の家から帰るときのことを思い出した。私は心が折れて鹿児島に行ったから、帰ったらまた元気にやれるかどうか自信がなかった。そのときのことが急によみがえった。空港で私が泣くのを、祖母が何度も「泣かないの」となだめてくれたときのこと。

 

休学しても卒論から逃げることはできず、復学してから卒論卒論と卒論ばかりに追われていた。学ぶことや卒論を書くことを、適当にしないゼミであることをは分かっていたし、先生のそういうところが好きでこのゼミを選んだ、選んだのは自分だ。

木曜日の朝から今日(水曜)までの約一週間、地方にある自分の大学まで戻り、ホテル暮らしをしながら卒論と向き合っていた。

 私がここに書き残しておきたいのは、その卒論のことではなく、卒論に追われるこの一週間のことについてである。

 

 何があったのか先に書いておきたい。後輩と湖に行って流れ星をみた、魚が何度も跳ねた、明るい後輩が「思うこと」についてぽつりぽつりと話してくれた、夜の湖はすごく寒かった、話しているうちに雲の位置が大きく変わっていた、帰り道の車の中がとてもあたたかかった、場が明るくなるような存在になろうとしなくていいやと思えた、「思うこと」について、話してもらえる人であろうと思った、ゼミの子たちが、「私、実は…」といろんなことを話してくれた、なんてかわいいんだと思った、東京に戻る日、後輩たちが「お見送りに行きたいです」と言ってくれた、一人、ホテルでちょっと泣いた、一人なのにビールがおいしかった、お見送りしてくれた嬉しさでぼんやりしていたら、コインロッカーに置いていた荷物を取り忘れていて、慌てて電車から降りた、コインロッカーのカギがなくて泣きそうになりながらキオスクに行くと、「落とし物で届いてたカギがそれかもしれない」と優しく教えてくれた。その店員さんが持ってきてくれたカギが、本当にそのロッカーのものだった、カチャっとはまったのを見たとき、慌ててばかりなのも終わりにしようと思った、すみません、と言うと、「いえいえ、そういうことってありますから、どうぞ」とロッカーを開けてくれた、そういうことってありますから、そういうことってあるんだと思った。

 

 休学していたため、久しぶりの大学に行っても同級生はほとんどいない。同級生は皆働いている。図書室と格安ホテルを行き来する一週間が始まった。本当は日曜日に文学フリマもあったのに、行きたかったのに、会いたい人だっていたのに。けれど調べても調べても進まない卒論をないがしろにしたら本当に困ったことになりかねないと、涙を拭いて大学に来たのだ。覚悟はしていたから毎日全然大変ではなかった。朝の9時から閉館まで図書室にこもったが、それでも終わらない、きわめつけに内定先のアルバイトで頼まれていた仕事もやらなければならなかった。コピーライターになると言っても簡単になれるもんじゃないんだって、こんなときに気づかなくてもいいじゃないかと思った。ホテルの一階がカフェスペースになっていて、ソフトドリンクやコーヒー、アルコール類まで常備されていたのが救いだった。23時まではウイスキーを飲みながら頑張った。なんだかあの時間が忘れられない。オレンジのライト、誰もいないだだっ広い空間、いくつものテーブルと机。と、ウイスキーのロックグラス。へんなの、私まだ自分のこと子どもだと思っているんだ、だから変に感じるんだ、へんなの、と思った。

 日中卒論と向き合い、金曜と土曜の夜に後輩たちに会った。集まるも、コロナでいつも通りのことはできないし、土曜は日付を超えてから車を飛ばして湖に行くことにした。途中のコンビニでホットココアを買い、着いた湖は静かで、暗くて、寒かった。夜の海と全然違うのだ。夜なら湖の方が好きかも、と思った。大き過ぎない水面。蓄えた水がゆらっと向きを変えるとき、少しだけ光る。海は向こうが水平線だが、湖は向こう側にあるものが見える。私たちが行った湖は、向こうに街があった。街の明かりを映した水面は、映した明かりをろうそくのように長く長くのばしていた。

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 オリオン座の中にある無数の小さな星を見て、嬉しくなった。六等星ぐらいの小さな小さな星も、ちゃんと光っているのが見える。こんな星空はいつ以来だろう。「流星群が来ていたら、流れ星が見えたかもしれないですね」と言われて悔しがっていたら、大きな流れ星がすうーっと尾をひいて空を横切った。みんなで見た。みんなで見て、みんなで「あ」と言った。みんなでやるって、どうしたって楽しいのだ。コロナで失ったもの…とか、コロナだからこそ…とか関係なく、みんなでやるっていつだって楽しいし嬉しいのだ。

 

 卒論は結局、決めていたところまで終わらせることができたし、致命的な失敗も起こさずに済んだ。いつもは何かしらしでかすのに、よく持ったと思う。焦ってばかりだ。焦って、血眼になってなんとかこなして、安心して汗を拭う。

 

 なんだかなあ、と思っていたら、星を見にいった後輩から連絡があり、「東京に帰る先輩を見送りに行きたいです」とのことだった。ビジネスホテルのシャワーを浴びながら一人で少し泣いた。嬉しいのと、こんなに優しくされていいのだろうかという気持ちだった。

 ゼミを終えて大学を出ると、星を見に行ったメンバーがみんな揃って待っていてくれた。駅まで向かう道中、帰りたくないなあと思って、悲しくならないように、べらべらとまた何でもないことを一人で話してしまった。

 駅に着くと、「私たちからです」と包装された箱を渡された。中には万年筆が入っていた。あーと思った。泣くもんかと思っていたのに泣いてしまった。おじいちゃんのことを思い出したのだ。万年筆ばかり持っていたおじいちゃんは、「万年筆を買ってあげようか」とよく私に言ってくれた。どうして?と聞くと、「万年筆は人からもらうのがいいから」と言った。そうだった、人からもらうものだと教えてもらったなあと思ったら、涙が出てきてしまった。「またすぐ来てくださいね」に、後ろめたい気持ちなしでうん、と言えた。

 

 星を見に行く途中の車内で、後輩が教えてくれた曲をずっと聞いている。キンモクセイの『二人のアカボシ』という曲だ。

 

「夜明けの街 今はこんなに静かなのにまたこれから始まるんだね 眠る埋立地(うみべ)と化学工場の煙突に星が一つ二つ吸い込まれ 沢山並んだ 街の蛍達も 始まる今日に負けて見えなくなってゆく 君とも離れることになる」

 

それでもいいのだ。それでこそいいのだと思った。ともに過ごした夜に、悲しみや寂しさをやり過ごさせてもらった気がする。高揚感だけが幸せではない。焦らずに、夜を忘れずに、辛い現実も緩く過ごしていきたい。

 

 

「曇りなき眼で物事を見定める」

幼い頃、自分をもののけ姫だと思い込もうとしていた。

 

正確には、自分がもののけ姫ではないことは分かっていたし、けれどその事実が悲しくて、そう思い込むことで自分は周りのようにのうのうと生きているわけではないと線引きをしたかった。

友達と鬼ごっこをしていると、急に立ち止まって山の方を見たりした。「どうしたの?」と訊かれると、「ううん、なんでもない」なんて意味ありげに返して、また走り出した。

今思い返しても、拗らせてるなあ、と思う。

それでも、「本当は山が性に合ってるにんげん」というのを自分に設定することで、この俗世の嫌な感じから距離を置いた人間でありたかった。

あの頃、私にはもののけ姫が羨ましかった。

 

 

就活が落ち着いたら絶対に行こうと思っていたので、二子玉川に『もののけ姫』を観に行った。

映画を観にいくときは、どの映画館にするかいつも悩む。客はどんな層が多いか、人数、映画館を出た後の街並み、帰りの電車に揺られる時間。それらの情報をネットで調べまくり、口コミを漁る。なるべく人は多くないほうがいいけど、観る映画によっては喧騒が多い街並みに揉まれて帰りたくもなるのだ。

 今回二子玉川にしたのは、帰りの電車で考えすぎてしまわないように、近場にしたかったというのと、客層にばらつきがあって欲しかったという思いがあったためだ。

 

前の晩から「明日は『もののけ姫』を観に行こう」と意気込んでいたためか、朝起きてから食欲がなく、麦茶だけ一杯飲んで外に出た。

 

平日の昼間だったのと、コロナの影響で席は間隔を空けて座らないといけなかったため、人数はまばらで、十数人ほどしか入らなかった。

 

アシタカの村は、「大和との戦いに敗れ…」という村人の台詞と、漆器、髪型や服装などから、アイヌの民族ではないかと推測した。イオマンテなどで知られるように、自然との付き合い方を大切にするアイヌの民族。ヒイ様が、タタリガミと化した猪に手を合わせる場面などからは、そうしたアイヌの民族を思わせた。

幼い頃はそんな推測も浮かばなかったし、それが何を意味するのか、現代に何を問うているのかも想像だにしなかった。

その上でアシタカの考え方を追うと、自然と涙が出てきてしまった。馬鹿正直なただの真っ直ぐ野郎だから、彼は人と自然がともに生きることを目指しているのではない。彼は、そういう文化のなかで実際に生きているのだ。廃れつつある貴重な文化の担い手として。だからこそ、彼の意見は少数派のものとして扱われてしまったいるし、ジコ坊なんて最後に「馬鹿には勝てん」とこぼしている。それがとても悲しかった。そして、私はその多数派に属しているという事実が、幼い頃と同じく悔しかった。

 

冒頭での「日本には太古八百万の神々がいた」という台詞。そして最後、サンの「シシ神様はいなくなってしまった」という台詞と、それに対するアシタカの「シシ神は生と死そのものだから、生きている」という台詞。

 

私は幼い頃、『もののけ姫』のこの最後のシーンがとても嫌いだった。無性に悲しかったからだ。サンとアシタカの台詞の違いがなにを意味するのかもわからなかったが、山が、以前の山と何か違うということは分かった。生命に溢れる山なのに、そこからまた始まるはずなのに、以前と違う山を見たくなくて、だからそのシーンが嫌いだった。

 

今回、観た後幼い頃とは違うどんな思いになるのかと期待していたら、やはり最後のシーンは苦手だなと感じた。幼い頃の私が感じたことと変わらなかった。

八百万の神がいた頃、自然に対する畏怖を、かたちをもった神々が体現していたように思う。姿が見えなくても、たしかにいる、ということが、人間にそうした敬いをもたらしていたと。

アシタカの台詞は間違っていないし、シシ神は「役割」として生きているのだろうけど、姿をもった神としてのシシ神がいなくなってしまった以上、サンの言う「シシ神様はもういない」という言葉に頷いてしまう。

 

私は、もののけ姫がやはり羨ましい。神としてのシシ神を求めることが正義だと疑わずに生きていられることが羨ましい。

 

映画館を出た後、頭がふらふらするのでカフェに行こうかと思ったが、たどり着いたのは外にある石でできたオブジェだった。

今、そこに腰を下ろしてこの文章を書いている。

山を懐かしそうに見ることで自分を保っていた私は、まだ健在しているのかもしれない。

そうだとしても、そうでなかったとしても、曇りなき眼で物事を見定めなかればならない。見定めるために生きねばならぬと思う。

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